ブクログ談話室

ひとはなぜ読書するのか

    未回答
  • 回答数 17件
  • 雑談
ばかばかしい質問ですみません。でも、まじめにきいてます。
皆さんもご存知の通り、読書は一朝一夕で完遂できるほど、簡単な”ひまつぶし”ではありません。遠藤周作もいうように、「くるおもしろい」(=苦しくて、面白い)という代物です。
にもかかわらず、ひとは、私は、物語を・読書する事を、望んでしまいます。それはなぜなのか、よくわからないのですが、読んでいる時は苦しいにもかかわらず、読まずにいられないのです。読書中毒とかそういうのではないと思います。読書している時、きわめて醒めているからです(自覚するところによると)。
あなたは、なぜ人は読書するのだと思いますか?物語をなぜ必要と感じますか?どんなささいなことでもいいので、教えてくださると幸甚です。よろしくおねがいします。
質問No.8115
みんなの回答・返信

そこに本があるから.

物理的には、そこに山があるから登るのと同じ.
心理的には、本を読むことで心を耕しているんだと思う.人間一人ができる体験は限られているけど、本を読むことを通して別の人が体験したことを疑似体験できる.自分の中になかったことばと出会うことによって、想像は広がり、物事に対する理解は深まる.
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回答No.8115-092025
コメント 1件
心を耕す、っていいですね。
読書中毒患者の会にようこそ。

あなたは立派な読書中毒だと思いますよ。
覚醒剤ですら効いてる時はシャッキリしてると言うではないですか。
そして切れると次のが欲しくなるんでしょう?おんなじです。

もうすぐ本屋や図書館で本を選んで持って帰り読むまでの一連の動作を無意識に行えるようになりますので、「なぜ苦しいのに本が読みたくなるのか」という悩みとは無縁になります。

もう少しの辛抱です。お大事に。
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回答No.8115-091699
コメント 2件
真面目に考えていらっしゃるのにふざけたような回答でごめんなさい。

本を読むかどうかに関係なく、人は物語を必要とします。
この世界は複雑すぎて私たちの頭ではありのままを丸ごと理解することはできません。
そこで現実の出来事を理解しやすいシンプルな形に落とし込んだのが物語です。

苦しいのに欲しい、当然です。
複雑な世界に向き合うのは苦しいけど、理解できないのはもっと苦しいですから。
ふざけてるだなんて思いませんでしたよ(笑)面白いなあ、と少し笑ってしまったくらいです。
フィクションはノンフィクションのミニマム形、ノンフィクションはフィクションのミニマム形、だと感じることが多いです。たしかにこの世も人生も世界も、複雑ですね。物語、あるいは誤解は、理解の総体だということですかね。
  • 名無しさん 名無しさんの回答 2019年10月22日
大学時代、同じようなテーマのレポートを書いたので、参考になれば…

内容的には
1 人はそれぞれの経験や知識から、思考や信念、道徳観念や嗜好などを造り、それが集まり自己となる。
2 本や物語というのは、その知識や経験を得る上での一つの手段である。
3 本から知識を得ることや、物語を体験し感動したり興奮したりすることは、自己を構成、あるいは確認する手段の一つである。

みたいな感じだったと思います。
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回答No.8115-091690
コメント 1件
じつをいえば、返信の内容よりはレポートを書いたという事実にむしろ励まされました。ああ、真剣に考察した人が自分自身以外にもいるのだなあと。
学生時代、尊敬する先生から、「人生は勉強です。勉強とは学問をすることです。
学問とは読書のことです。死ぬまで本を読みなさい。」と薫陶をうけました。
死ぬまで読み続けようと思います。
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回答No.8115-091681
コメント 1件
死ぬまで読み続ける、考えてみれば、私はこのシンプルな答えを避けていたような気がしました。
そうですよね。死ぬまで人間を押し、死ぬまで読み続ける。
いいですね^^
  • 名無しさん 名無しさんの回答 2019年10月19日
読書するようになったのは、ここ数年前から
テレビを見る機会が減ったことからの始まり
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回答No.8115-091678
コメント 1件
テレビ視聴の欠落を埋めるために始めたのですかね。
読書はテレビ視聴ほど楽ではないと思いますけども、あとからじわじわ効いてくる薬みたいにとても滋養がありますよね笑。
世界を分別できる能を感覚し、そのことで安心したいがために。
(実際には分別の能力と、それがあるから安心であることに関係はないのだけれども)
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回答No.8115-091546
コメント 1件
読書で冷静になるというとは、わりとよくあることですよね。
・・・雲をつかむような話しでもあり、いきるそのものへの問いかけでも
あり・・・

私自身、現在は、呼吸するために読んでいる感触があります。
それをしないと息がとまってしまう氣がして。
さまざまに必要なものはありますが、求める最たるものは文字であり
ことのはであり。

向こう側にいるだれかの氣配をかんじて対話する、
もしくは宇宙に融けこんでゆくのかもしれません。
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回答No.8115-091531
コメント 3件
私はむしろ、読書中に息ができない気がして、はっと本から顔を上げることがよくあります。(ロラン・バルトもそういうことはよくあると言っていました。)
読了したあとの清々しさは何物にも替えがたい絶対的な快楽なのに、物語から得たと思えるなにか柔らかいものは、月のように満ち欠けして形を変えますね。にもかかわらず、人は読書する。不思議です。
以前はさあっと読むことができていたのに最近はそれができません。
そういう意味では今のほうがくるしかったりかなしかったり・・・
ただ、本がより、体感的(?)になっている氣はします。意識としては
山登りに似ているのかな??病後に読んだ『生きるとは、自分の物語を
つくること』が日々の支えになってきています。
人はまったく別個の存在です。同一の体験をすることはありません。
それでもひとりの感じた・観じたことがほかの誰かの琴線に触れる、
もしくは生きるうえでのヒントが隠れていたり支えとなったり・・・
だからこそ会うことがかなわなくとも書物という“ものがたり”を
各々が必要とするのではないでしょうか。
  • 名無しさん 名無しさんの回答 2019年09月13日
極端に言うと時間つぶしで読書していますが、それだったら他の事でもいいですよね。なぜ読書することを選んでいるのかというと、それが一番面白い事だからなのかな~と思います。私にとって本を読む行為は、排泄したり寝たり起きたり食事したりする行為と同等なのかもしれません。それにしてもめっちゃ難しい質問ですね!色んな人に聞いてみたくなりました。
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回答No.8115-091495
コメント 1件
読書でないと、まかなえない想像界の充実というものが、ゾーンポリティコンである人間に、一体どうして必要なのかとよく考えますが、あまりわからないのです。これといった答を期待しての質問ではないですが、皆さんの答を知るとなかなか面白い気持ちがします( ´-`)
現実から離れ別世界に遊ぶことができるから人は読書をするのではないでしょうか。
例えば、過去の時代の物語であれば、読書をする事でその時代に生きていた人々の営みを追体験するかのような面白さが味わえます。私は多くの場合、このように経験がない世界に行く感覚に魅力を感じ読書をしています。
人によっては現実逃避の手段にもなるでしょう。
ただ、私自身は現実逃避のために読書をすることはほとんどないように思います。
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回答No.8115-091462
コメント 1件
読書によって現実を離れて人は何を望むかというのがわからないんですよね。読書は面白いばかりではないのに、苦しい思いをしてまでなぜ想像界を充実させなくては生きていけないか。それが気になります。
本は、自分が知らない、経験をしたことのない世界を体験できるツールだから。ではないでしょうか。

知らない事を知る、というのはとても楽しいです。
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回答No.8115-091451
コメント 3件
再読という行為かありますが、知っているにも関わらずまた楽しめたりすることがあると思います。
再読であったり、結末を最初から知っている作品を読むような行為であっても、「知る」という事象は発生していると思います。


例えば、
・初読の時には気づかなかった伏線を発見(物語の構造を知る)
・初読の時には感じなかった感想を得る(自分自身や、作品自体をより深く知る)
・(結末を知っている、未読の作品の場合)
作品の描写を通して、表現の方法を知ったり物語の世界観をより深く知る等
再読等の場合、自分は↑の事を楽しみに読書を行っています。
これらの「知る」事象がなければ自分は、再読等は行えないですね……。

「味わいなおす」だけだと、「もういいや、時間の無駄」と途中で投げ出してしまいます(汗)
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