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「フランソワーズ・パストル:遠藤周作 パリの婚約者」(2022年8月公刊)

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桑原真夫著「フランソワーズ・パストル:遠藤周作 パリの婚約者」(2022年8月10日論創社公刊)


日本のカトリックを信仰する一見敬虔な作家である遠藤周作(1923-1996)は、若い頃にフランスのリヨンに留学した。遠藤は留学中に肺結核にかかり、帰国を余儀なくされた。フランスを出発前、パリに滞在中に、遠藤はフランス人女性フランソワーズ・パストルと出会い、親密な関係になった。彼女は当時ソルボンヌ大学哲学部の学生であった。遠藤は、日本へ帰国後は二人の関係は切れたと信じていた。一方、フランソワーズは、彼らの関係は続いていると信じていた。実際、遠藤は未練がましく帰国途中及び日本到着以降も彼女に繰り返し手紙を書き続けていた。フランソワーズは遠藤の帰国後、パリの東洋文化研究所で日本語を学び日本語教師の資格を取得して、日本の二つの大学でフランス語を教えるために長い間来日した。しかし、彼女も病気になり、フランスに戻り、すぐに亡くなった。フランソワーズの姉は彼らの関係について手記を書いており、日本人翻訳者が邦訳し日本の文芸雑誌に掲載された。このたび、彼らの関係の真実を明らかにする2人の未公開の手紙が多数発見された.
かの有名な信仰篤い遠藤は、二人の関係の終わったことを日本と西欧の時間の観念を引用して自己弁護している。「日本では死とともに時間が終わるので時間の観念はない。他方、西欧では死後も最後の審判まで正邪の未決状態が続くので時間の観念がある」。私見ながら、この言辞は、遠藤の極めて身勝手な発話である。上述のとおり、遠藤が帰国後もフランソワーズと手紙の交信を行っていたことも女性心理を煽る無責任な行為である。フランソワーズは、遠藤と結婚できなくとも「遠藤の子供が欲しい」と述べている。彼女の愛情は純粋で献身的である。遠藤は「イエスの生涯」、「沈黙」及び「深い河」など読者に感銘を与える名作を残してはいるものの、遠藤という人物は本質的に自堕落な性格であったのではないか?遠藤は灘高校時代から落ちこぼれであった。
このフランソワーズとの関係では、遠藤は西洋のブロンドの女性に恋心を抱いた無責任な日本人青年にほかならない。上述の3作品が、私には偽善的に思われた。この読書を通じて私の遠藤周作に対する尊敬の念が著しく劣化した。私は、遠藤が嫌いになった。
質問No.8833
みんなの回答・返信

本棚に1冊も登録されていないので、もしや間違えて談話室に書き込まれたのでしょうか?
0
回答No.8833-099636
一瞬ロシア語で表示されたけど気のせいですよね?
0
回答No.8833-099632
コメント 1件
すみません見間違えでした!
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