読んでみたいと思ったきっかけは、キリスト教文化の土台となる価値観を知りたかったから。
様々な近代史を知る上でも、宗教的背景は欠かせない。
地獄編、煉獄編は想像以上に読みやすかった。当時のフィレンツェの一般市民への啓蒙用に描かれたものなので、生き生きとした瑞々しい文章。
だが天国編でその筆は一遍し、非常に観念的、形而上学的な文体になり、読み進めるのにかなり努力を要した。もともと大著であるが、これだけ苦労して読み終えた本も少ない。
以下の事に気が付いた。
・宗教とは哲学であり、法であり、また理(ことわり)である。つまり、自然科学と枝分かれする以前の科学大系であり、哲学でもある。自然科学が観測によって理を解き明かそうとするのと同要、キリスト教は神を思う事によって、森羅万象の理を説明しようとした。野蛮なものというよりも、この世界での精緻な理論の積み重ねの上に成り立っている。
・後書きにも書かれていたが、イスラム教徒を邪道なものとして描いている点(マホメッドは地獄にいる)、十字軍をはじめ、異端と戦ったものは皆、天国にいる点、そして描かれている人物の地獄行き、天国行きの区別は、どうもダンテの個人的愛憎からのようである点。それらの点は現在の目で見るとむしろ滑稽なものとして映る。特に十字軍の描写は、イスラム過激派が自爆テロの志望者に語る内容ととても酷似している。
・至高天の住民であるヴェアトリーチェがダンテを責める理由が割と世俗的な理由からである事。(ヴェアトリーチェの死後、他の女性と結婚した事)
西洋史を復讐しなおした後に、また挑戦してみたい。
キリスト教を知る為の入門署としては、やはり素晴らしいと思う。
- 感想投稿日 : 2019年1月17日
- 本棚登録日 : 2019年1月17日
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