生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想 (星海社新書)

著者 :
  • 星海社 (2019年12月27日発売)
4.04
  • (48)
  • (44)
  • (27)
  • (2)
  • (4)
本棚登録 : 1230
感想 : 65
5

三秋縋さんがツイッターで紹介されていて、すぐに気になって購入。川上未映子さんの夏物語で反出生主義について気になっていたところだったので、どんぴしゃだった。
エミール・シオランというルーマニア生まれの哲学者の思想がとても平易な言葉で解説・批評されている。
これまでは気になりつつもほとんど読めてこなかったので、初めてまともに哲学について触れることのできた貴重な一冊になりました。
まるごとすべて素晴らしかった。どうして生きたくないのに死ねないのだろうとか、私がこれまで思い煩ってきたあれこれの解は、とうの昔にシオランが辿り着いていた思想だったのだ。
これまでの人生、自分はなぜ厭世的に悲観的にしか生きられないんだろうと、それなりに悩んできたのだけれど、その薄もやが晴れていくような気がした。
どうしたってペシミストとしか生きられない人間はいるのだ。生まれもってのペシミスト。(作者である大谷崇さんもそうだし、きっと三秋縋さんもそうなのだろうな。たぶん川上未映子さんも。)
シオランの実際のアフォリズム集である「生誕の災厄」や「告白と呪詛」も読んでみたいな。
そしてシオランをきっかけに、ベネターやショーペンハウアーにも親しめるようになっていきたい。

**
p31 シオランは、つねに思想なりなんなりが「生きられている」かを重視してきた。「生きられている」思想とは、その思想とともに生き、その人の人生が刻印されている思想ということだ。あるいは、思想なりを「生きる」とは、その思想のために傷を負うこと、の思想のために苦しむことだと言えるだろう。言い換えれば、その人の人生に影響を与えることだ。だからシオランは大学教授の洗練された知的遊戯よりは、乞食や売春婦の生きられた発言のほうに価値を認め続けた。

p89 しかし、そもそも何かをする奴がいるから、何かをしなければならなくなったのだ。つまり根本的に言えば、何もしなければ悪は生まれないのである。そもそもこの世に生まれなければ、私が苦しむこともなく、私がこの世に私の子を生まなければ、私の子が苦しむこともなかったのと同じように。

p114 自殺の観念は、それを抱く人に自由と解放の感覚を与えるのである。

p119 "(不眠の)危機のあまり、私はベッドに身を投げてこう言いました。「もうだめだ! もうだめだ!」。すると司祭の妻であった母が私にこう返しました。「もし知っていたならば、堕胎していたのに」。このことは突然私に巨大な喜びをもたらしました。私は自分に言ったものです。なら自分はただの偶然の産物なのだ、これ以上に何が必要だというのか?"

p121 私は生きているが、たまたま自殺していないにすぎない。そしてたまたま生きているにすぎない。人生はそのときが来るまでの余生だ。そしてそれは自殺の観念のおかげだ。だから人生は自殺の遅延である。

p162 生きることをあきらめなければ善良さに到達できないとしたら、生きることと善良さと、どちらを選ぶのか。答えははっきりしている。みんな生きることを選んでいるから、この世はこんなにも地獄なのである。そして逆に、このような善良さを選ぼうとするのがペシミストなのだ。人類みんながペシミストであればどんなによかったろう!

p195 ユートピアとアポカリプスの相違は、前者が端的に希望なのに対し、後者が絶望的希望だということだ。希望ということでは共通しているが、ユートピアが漸進的なものであれ急進的なものであれ、社会改良を目指すのに対して、アポカリプスはもはや改良でなく、破滅を望む。外部から一気に私たちを滅ぼす何かが起こるのを望む。

p220 彼は人生はむなしい、すべては無意味だという思いを抱いていたのと同時に、人生のむなしさを強調する文章や表現に好んで触れていた。ちょうど私たちがシオランに同じことを期待するように。

p224 たしかに、彼らの労苦がすべて跡形もなく消えてしまったわけではない。たとえば古代の事業の痕跡は、私たちに彼らが生きて彼らがなしたことを語る。遺跡の出土品は、彼らの生活の営みを、彼らの人生が存在したことを物語る。だがそれすらも、この宇宙が消し飛んでしまえばすべて無に帰るだろう。私たちが住んでいる地球は、何十億年後かには太陽に飲みこまれて消滅してしまうかもしれないらしい。そうすると本当にすべて消えてしまうわけだ。

p268 自分が苦しんだというだけで、人は他人の苦しみにも口を挟めると思いこむ。成功者でさえも自分の苦しみが軽んじられるのを許せない。誰も彼もが自分の苦しみを軽視するなと叫びたてる。

p297 むしろ、私たちはこういうことすべてにうんざりしているのではなかったか。ちょうど、世界が憎悪によって活性化することに、「本当に生きるとは他者を拒絶すること」だという事態に、うんざりしたように。だとすると、もし人が生から身を避けようとするならば、死からも身を避けなければならないことになる。いわば、死とは人生に待ち構えている最後の罠だ。私たちは、死からも自由になるほど生から解放されたいのではないだろうか。それこそ死産児ーー死んだまま生まれた子供のように、あるいは、決して生まれなかった子供のように。

p306 子供を作ることによって、つまり子供の人生が始まることによって、私たちはその子が生まれなければ経験することのなかった苦しみを、つまりは「死ぬ」ということすらも、その子に与えることになる。

p326 ここで明らかになっているのは、知恵はある意味で私たちと世界との和解を試みるということだ。知恵は私たちの原動力であった嫌悪を、すべての感情ごと消滅させ、私たちと世界との対立をなかったことにする。

p335 ペシミズムの中途半端さとは、生を嫌っているのに生きざるをえないところだ。全力で人生と世界を罵倒するのに、嫌っているはずのその惨状に魅了され、ずっと生にとどまっている半端者がペシミストだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 自己啓発
感想投稿日 : 2020年5月18日
読了日 : 2020年5月14日
本棚登録日 : 2020年5月14日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする