やりなおし高校国語:教科書で論理力・読解力を鍛える (ちくま新書)

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  • 筑摩書房 (2015年1月8日発売)
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相反する2種類の教材
①文章を論理的に読むことにより考える力を付けるためのもの
②人生や世の中の深淵と直に向き合わせるためのもの

①評論→筆者の伝えたいことは何で、それをどのような論理で説明したのかを読みとる。
②文学、哲学→教養につながるもの

2つのものを無自覚に同じ国語の教材として扱っている→国語は役に立たないと勘違い

近代の終焉 明治以降、近代化が過度に邁進→生産力アップの一方、環境破壊、不安、精神の荒廃→近代化、西洋化があらゆる場面で行き詰った=現代

山崎正和 水の東西 イコールの関係・対立関係
評論=筆者が世の中に対して主張したい→不特定多数の読者に向けて書く→同じ意見でない人のために論証責任が生じる。
→読者は、筆者の立てた筋道、論理を追うことで正確に筆者の主張を読みとる。

現代文=論理的思考 ×センス、感覚
筆者の主張は抽象的 抽象=個々具体的なものから共通性を取り出す。
論証するために筆者は具体例やエピソードを取り出す→人は具体例に関心を寄せるから

筆者の主張→その具体例、エピソード、引用

具体例が出てきたら、筆者が何を主張しているのか、それを抽象化した箇所を探しながら読んでいかなければならない。

具体例→抽象化となるのか、対立関係になるのかを意識すること!

筆者は自分の抽象的な主張を読者に理解させるために自分の体験や具体例を挙げる→だが、それに目を奪われてはいけない。筆者の主張はもっと大きなもの、東西文化の違い

文章を論理的に読むことは頭の使い方を変えることでもある。☆具体的なやり方をこの本でマスターすること!

清岡卓行 失われた両腕 逆説的表現(逆と思うことを言って考えさせる技法)の理解・芸術への洞察力

優れた論評を理解することによって、暮らしている現代社会を新たな角度から捉え直すことができる。→真の教養となりその人の人間的な深み、魅力につながる。

明治18年坪内逍遥 小説神髄
明治20年二葉亭四迷 浮雲
明治23年森鴎外 舞姫
国語学習の目的→正確で深い洞察力の養成 ×学校でのフィーリング的な指導(客観的読解と鑑賞との混同)

近代的自我の確立 封建時代・家のために死ぬ時代→集団から個人を分離する自我の確立→明治の知識人たちの苦悩

舞姫を理解するには、当時の時代背景を鑑みなければならない。現代の価値観で過去の作品を切り取ってはいけない。
擬古文 雅文調 流暢で情緒があり味わい深い

洋行 封建人としての豊太郎 ドイツでの生活→近代人として自我の目覚めた日本人
エリスとの出会い 用心深き我が心の底までは徹したるか。
終日兀坐(ひねもす・こつざ)する我が読書の窓下に、一輪の名花を咲かせてけり。

ああ、さらぬだにおぼつかなきは我が身の行く末なるに、もしまことなりせばいかにせまし。

相沢謙吉の忠告 個人よりも国家を優先するのは当時の知識人にとっては当然

自由なる風に吹かれて、自我が芽生えたと確信していた豊太郎は、足を糸に縛られて放たれた鳥のようなものだったのである。

そのまま地に倒れぬ。エリスの顔を見たとたんに意識を失ってしまった→苦悩の果てに意識を失ってしまい、自分で選択することさえ許されなかった。

舞姫発表後→世間の批判
人は主観的な生き物 何を読んでも主観で再解釈→自分の狭い価値観や日常的な生活感覚の中で消化してしまう→どんな名作を読んでも自分の世界を深めることができない。

自分の狭い価値観での解釈を個性や独創性と勘違い→このような国語教科書の読み方をしている限り真の学力が身に付くはずがない。

丸山眞男 「である」ことと「する」こと
論理の基本→イコールの関係、対立関係、因果関係
論評=物事をある角度から語ったもの(複数の角度から)
他者への文章→感覚は通用しないから自ずと筋道を立てる→文章を読むときは、主観をいったん括弧に括り、筆者の立てた筋道を追う。
①権利の上にねむる者
民法の時効の話→普遍的な話への展開 具体→抽象
抽象=具体的な事例からそれらの共通点を抜き取る→抽象的な主張に対して、不特定多数の読者に向けて論証責任を果たす。
筆者の主張(抽象)=具体例 イコールの関係
自由であること=安住するのではなく、日々自由であろうとすることで初めて自由であり得る。

制度の自己目的化 本来制度は公共のためにつくられた手段に過ぎないのに、いつの間にか制度自体が目的に

対立関係を意識 近代→前近代、封建時代が対立関係
である→前近代 する→現代 論理展開が因果関係となっていることを読みとる。

会社の役職→仕事をするためのものであり、仕事外では関係ないはずである→しかし、身分的になっている日本

場所柄に応じて「である」論理と「する」論理とを使い分けなければならず、その結果、ノイローゼ症状を呈している日本

「する」価値と「である」価値の倒錯 レジャー、学術における実用性の基準
教養とは「である」論理に支えられたもの 文化的価値は大衆の思考や多数決では決められない

政治や経済→「する」理論→それ自体に価値なし、何を「する」かの結果のみ重要
学問や芸術→「である」論理に支えられている

イコールの関係、対立関係、因果関係を駆使した論理性の高い文書

夏目漱石 こころ 1914年に朝日新聞に連載
「こころ」を理解することは高校生にとって不可能に近いと考えている。いやこころは様々な経験を積んできた大人にこそ読んでほしい小説なのだ。
人の心の不可思議さをそっくりそのままつかみ取ろうとした作品
近代という時代背景を理解することが不可欠

 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向こうから口を切りました。前後の様子を総括して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引っ張り出したらしいのです。
 Kが迷っているのは、お嬢さんが自分のことをどう思っているかではない。問題はそこにあるのではなく、精進している自分が人を好きになってしまった、そのことの是非にある。→私はそこにKの弱点を発見した。

実は、この「覚悟」という言葉をお嬢さんとの関係をさらに推し進める「覚悟」と捉えたのである。それは自殺する「覚悟」だったとも知らずに。

「こころ」の謎を解く鍵は、Kの自殺の動機

漱石文学には時間に対する不思議な捉え方がある。時間は確かに等間隔に流れているけれど、人生を決定する一瞬があるのだ。その瞬間には時間が流れず、全生涯を支配してしまう。しかし、その瞬間がいつなのかは誰にも分からず、後になって初めて気が付くのである。

 勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気がつかずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考えました。

K 馬鹿なのは自分の方である。同じ家に暮らしていながら、最も愛した人と最も信頼していた親友との心がまるっきり分からなかったのだ。→その象徴的な場面が、二人を分けていた一枚のふすまである。そのとき、Kは言葉にならないほどの孤独を感じたに違いない。
 一度愛を感じて、孤独を癒された人間には、もはやかつての孤独を耐え抜く力は残っていない。だから、「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」という言葉だったのである。

結婚後も耐えきれないほどの孤独 Kと同じ道をたどっている。

 すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。

御大葬 合図の号砲 乃木大将の殉死

小林秀雄「無常ということ」
小林の難解さ→合理主義的な捉え方を拒んでいる批評家だから
批評すべき対象に対して理屈で無理やり納得するのではなく、もっと心の奥深いところで、その総体として捉えようとしている。

中原中也「サーカス」 夭折した天才詩人 昭和初期→戦争へ急速に傾いて行った時代

詩は様々な解釈が可能→あくまで本文を根拠にしたことが条件、それを無視した恣意的な解釈は成り立たない。
 観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と→常に同じ方向を群れいていくもの・殻が擦り合わさるようなガラガラという機械的な音

葉山嘉樹 1926年「セメント樽の中の手紙」 プロレタリア文学
封建的価値規範

大正デモクラシー→第一次大戦の終結 財閥の台頭 マルクス主義→労働者が食べることもままならないのは労働者が働いて得た富を資本家が搾取しているからという主張
小林多喜二(たきじ) 徳永直(すなお)

セメント工場で働く松戸与三
…手紙 私の恋人は破砕機へ石を入れることを仕事にしていました。…その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌まりました。
…そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細かい石になって、ベルトの上へ落ちました。
 この樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれを知りとうございます。

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感想投稿日 : 2017年3月17日
本棚登録日 : 2015年3月7日

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