日本人に「宗教」は要らない (ベスト新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584124321

作品紹介・あらすじ

日本には宗教間の対立がほとんどない。仏教と神道が争うことはない。いまの日本人はキリスト教を否定しない。西洋人が、日本人から大いに見習うべき点は、ここだろう。そして、日本人は無意識のうちに、日常生活の中で「禅」の教えを実践している。だから、日本人に「宗教」は要らない…。曹洞宗の住職であり、元キリスト教徒(プロテスタント)の著者が、日本と欧米社会を比較しながら、「日本人の宗教観」について考察する一冊!

感想・レビュー・書評

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  • 先日の父の葬儀の際に、なぜ禅宗(自分が修行して悟る)なのに葬式の手順が存在し、お経として修証義(生きている人への説法)を読み上げるのかが不思議だった。曹洞宗の説明の本には載っていなかったが、この本にはそのあたりの疑問の答えが大体載っていたのでメモ。

    日本人は無宗教ではなく、非常に寛容な宗教心を持っている。

    筆者の想像だが、そもそも仏教には僧侶の葬儀しかなく在家は出家得度をしないと葬式はできなかった。上流階級の人は生前に出家して戒名をもらい葬式をあげてもらっていたが、早々に出家すると戒律に縛られるため、死に際ぎりぎりで出家することになった。そうすると死に際に僧侶が間に合わずに出家できず極楽にいけないという事態が生じるため、例外的に没後作僧として死んでから戒を授けることになった。このビジネスアイデアがヒットし、生前に戒律を守る必要がないのならみんな僧侶に頼んで死んでから枕経を読んでもらうことになった。

    曹洞宗の葬儀は故人が仏弟子になる授戒の儀(出家の儀式)として剃髪のまねごとから始まり、引導の儀式で仏の世界へ送り出す。このため得度式と似ているが、師匠と弟子が問答する部分がなくて一方的に戒を授けることになる。

    思考実験として、寺や僧がいなくなっても困らないが、お墓と仏壇が消えたら喪失感があるのではないか。このことから日本では仏教は先祖崇拝と融合しているのが分かる。
    そもそもインドでは輪廻転生から逃れることが成仏、仏とは目が覚めた人で、仏として死んだら輪廻転生からのがれて完全に消える(涅槃)
    日本人は先祖が天国から見守ってくれていたり、お盆にあの世から帰ってくると考えている。地獄などの六道輪廻や生まれ変わりを信じている人はいない。一方で死を穢れと感じるがこれは神道の影響。仏教は無常が原点で死ぬのが当たり前、このため仏教が葬儀を担当する。欧米では墓地を嫌う感じはない。

    一神教では命や体は神の所有物なので自分の持ち物のように扱ってはいけないので自殺は許されない。仏教はそもそも生きることは苦だというのが大前提で輪廻転生の考えもあるので、死んでも意味がない。苦しみを逃れて涅槃に至るというのは正しくなく、今生きているその生死がそのまま涅槃だったという気づきこそが仏教。脳が死にたいと考えていても体はそうではなく、呼吸ひとつも自由にはならないのに、頭の判断でじさつしてしまうのはどうか。

    一切皆苦:この世は思う通りにならない
    諸行無常:この世の全ては移り変わりつかめるものはない
    諸法無我:永遠不変な本性である我など無い
    只管打坐:何のために坐るのか、何のためでも無い、ただ坐る。 人は何かをしているようで、何かのためにさせられているのかもしれない。ただ坐ることは、何かのためではない、自由な時間になる。親鸞の、ただ念仏を唱える、も同じ。

  • どうしてドイツのキリスト教徒が仏教徒になったのか、キリスト教社会と日本社会の違いなどに興味があり、ネルケ無方氏の本をいくつか読んだうちの、最も面白かった一冊。
    日本の仏教の現状を葬式仏教と揶揄しつつも、これからの日本の仏教がどうあるべきかを説いている。大阪城公園でホームレスをしながら、翻訳活動や座禅をしていたというくだりは、とても異色でかつ親近感がわく内容であった。

  • 祖母の家には仏壇や神棚があるが、実家にはどちらもない。
    祖母の家で法事をする時に僧侶に来てもらうが、それ以外の僧侶の仕事を知らない。
    若い世代には特に仏教は根付いていない。
    むしろ新興宗教の方が多いと思う。
    この本を読んで、キリスト教と仏教の違いを初めて知った。
    仏教についても詳しくないが、日常生活に関わっているためあまり違和感なく受け入れやすいのは仏教の方だろう。
    私は生きやすく考えられることが第一だと思うので、どの宗教を信仰するかはどうでもいいと思っているが、自分の思考を育てるために色んな宗教に触れることは大切だと感じた。

  • ドイツ人の禅僧が書いた本です。
    個人的には仏教の話よりもドイツの話のほうが印象に残った。
    ドイツで暮らす日は死んでもこないと思う。
    というよりはドイツに旅行で行く日すら、
    死んでもこない気がする。
    でもドイツの一端がわかった気がして嬉しかった。
    私はドイツ語圏の音楽家であった
    バッハやベートーベン、マーラーなどが大好きなのです。
    ですので、ドイツ文化に興味があるのです。

  • 著者はドイツ生まれ。禅宗の1つ・曹洞宗の僧侶であり、2002年から2020年までの19年間を兵庫県の座禅道場・安泰寺の住職として務めた経験もある。キリスト教やイスラム教は他宗教を否定するが、日本では仏教と神道の間に対立は無く、キリスト教などを否定する事もない。日本人は無意識のうちに、日常生活の中で「禅」の教えを実現しているのであり、ならば日本人に「宗教」など必要ない... ?。ドイツ・ベルリンで牧師の孫に生まれ、キリスト教の信者だった16歳で坐禅と出会い来日、大阪城でホームレス雲水として修行した禅僧が、日本人の宗教観について考察する。

  • ●欧米ではよく仏教は宗教ではなく、哲学ではないかと論じられています。そもそも宗教とは何でしょうか?宗教とは、「特定の神がいて、それを信じるか信じないか」である。もしこれが定義だとすると、仏教は宗教ではないと言えるかもしれません。
    ●日本人は日常生活の中に仏教や神道を教えが根付いているからこそ、宗教に無関心だったのではないでしょうか。考える必要もなかった。
    ●ドイツの子供たちは14歳になるまで親の宗教に準じて学校の宗教の授業を受ける。カトリックとプロテスタントでは別々に分かれて授業が行われる。そして14歳になった時、どの宗教に属するかを選択する。または無宗教であることを選択する。14歳で神様の存在を否定し、無宗教で生きていくと言う事はとても勇気がいることだ。
    ●キリスト教では労働は「罰」である。
    ●日本人「嫌われたくない」と言う思いが強い。
    ●聖書より道元の正法眼蔵が面白い
    ●かつて日本で仏教の葬式が許されていた上流階級の人は生前に出家し、僧侶として葬式をしてもらっていた。ところがあまりにも早い時点で出家し戒律を受ければ、それ以降は肉も食えずお酒も飲めない。そこで「出家は死に際キリキリのところがある」と言うことになった。そのうち没後作僧がヒットした。
    ●日本の住職は事業者。ドイツには教会税がある。教会税は各教会に分配される。そこから神父(牧師)の給料が支払われるから、教会が大きかろうが小さかろうが、給料は同じ。だから教会経営で悩む事は無いのだ。
    ●プロテスタントの場合、マリアはイエスの母であっても、祈りの対象としない。カトリックの場合は、父なる神様や神の子イエスは恐れ多く、親しみやすい存在としての「マリア信仰」がある。
    ●1人の修行は、大変危険である。共同生活をしなければ、全て自分の思い通りになるが、肝心の自分の姿は一切見えない。人の目は、鏡の役割をしているのである。自分1人では、切磋琢磨のしようがない。

  • 元クリスチャンのドイツ人で日本の禅僧になった著者による日本の宗教感覚についての本。いらないというのは、既に十分、著者の言う禅的感覚が日本人のベースにあるからということ。日本とドイツの違いを個人的な経験を踏まえて話している。親子の関係、お墓の印象、死生観等差異は意外と大きいのかもしれないなと思った。

  • 2017年1月

    ドイツ生まれの元クリスチャン、現在日本の曹洞宗の住職のネルケ無方が書いた、日本人の宗教観についての本。

    筆者は禅宗の僧侶であり、いわゆる日本人が信仰するようなお経や題目を唱える仏教とは少し異なる宗派。
    面白かったのは、禅の考えは日本人の生活に根付いているという考え方。家具を大切にすることや、掃除を行うことも修行の一つであるという、習慣のような考え方は実は禅宗の教えの流れであるという面白い発見があった。筆者の考え方と違う部分かもしれないが、仏教とは非常に哲学に近いものなのかなと感じる。
    欲を捨てる、ということが仏教の目指すことであるが、それは「今、ここにあること」を大事にするというシンプルな教えなのだなと理解した。どうしても日常の中では、もっとお金が欲しい、いい生活をしたいという思いは強くなってしまう。そうではなく、今生きている日常を受け止めていくことが大切なのだなと思う。

    また、面白かったのは先祖崇拝は日本人特有の考え方という点。あまりヨーロッパの人たちには馴染みがないものらしい。

  • アカデミックに宗教の不要性を論じた中身ではなく、感覚的な内容。そもそも、信教の要不要を論じる事は可能か。論理とは理由の説明が基礎になるのだが、信教に理由はない。神の存在証明が不可能なように。

  • 自分の中で、日本人の宗教観とはどんなものか考えてみたくなり、リアル本屋さんでいろいろ手に取っている時に出会った本。

    ドイツ人の住職(しかも兵庫県の寺というところにセレンディピティも感じる)で、外からの視点と内からの視点で書かれているのが面白い。
    私にとっても宗教(仏教も神道もキリスト教も)自体が身近でないので、フラットな感覚で読めた。
    著者の論旨としては、日本人のよくわからない宗教観の中に育まれている倫理観や秩序、道徳が確保された行き方こそ、今の世界に求められている精神性ではないか?というような感じだと思うが、そういう意味でも日本は特異な存在感なのだと思える。

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著者プロフィール

1968年、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。7歳で母と死別し、人生に悩む。16歳で坐禅と出合い、禅僧になる夢を抱く。1990年、京都大学の留学生として来日。その秋から初めて曹洞宗・安泰寺に上山し、半年間の禅修行に参加する。1993年に安泰寺で出家得度。8年間の雲水生活を経て嗣法。2001年から大阪城公園で「ホームレス雲水」として毎朝の坐禅会を開く。2002年に師匠の訃報に接し、安泰寺第9世の堂頭(住職)となる。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたって坐禅三昧の生活を送っている。著書に『迷える者の禅修行――ドイツ人住職が見た日本仏教(新潮新書)、『裸の坊様』(サンガ新書)、『禅が教える「大人」になるための8つの修行』(祥伝社新書)、『ドイツ人住職が伝える 禅の教え 生きるヒント33』(朝日新書)、『迷いながら生きる』(大和書房)、『日本人に「宗教」は要らない』(ベスト新書)、『読むだけ禅修行』(朝日新聞出版)、『迷いは悟りの第一歩』(新潮新書)、『ありのままでいい、ありのままでなくてもいい』(KKベストセラーズ)、『ドイツ人禅僧の心に響く仏教の金言100』(宝島社)がある。

「2015年 『安泰寺禅僧対談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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