地の群れ (河出文庫 い 2-1 BUNGEI Collection)

  • 河出書房新社 (1992年8月1日発売)
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感想 : 7
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今から85年前の1926年5月15日に福岡県久留米市に生まれた井上光晴は、直木三十五賞作家の井上荒野の父親で、やはり小説家。

娘に荒野(こうや)と名付けて(あれの)と読ませるのも多分ものすごいことですが、それを惜しげもなくその名前で押し通して小説家を生きる彼女もまた、人並み外れた強靭な精神の持ち主だと思います。

この小説については、作品そのものより、評価をめぐる具体的には芥川龍之介賞の選考のなかで、どれだけ不当な扱いを受けたかを知れば知るほど、評価や受賞の正当性・意味について考えさせられることしきりです。直接には小説とは何の関係もないことですが、いま改めてその本質的な意味を問うことは無意味ではないと考えて書きます。願わくば、現在にはけっしてありえないことだと信じて。

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選考委員会でどんな意見が交わされたのか? 

誰が賛成して誰が反対したのか、あるいは、誰が嫌悪して唾を吐き、誰が先導して周囲を言いくるめて賞へと導いたのか、または、賛同する者たちを突き崩して今回は受賞なしとか、他の作品へ強引に持っていったのか、などなど、文学賞を巡る様々な思惑は、普段わたしたちはあまり気にも留めない事柄ですが、芥川賞や直木賞だけでなく色々な賞についても、公開されている選評を読むと興味津々・意外や意外、とんでもない情況・事情で決定されたことも少なくないようです。

で、この作品です。1963年・昭和38年の芥川龍之介賞にノミネートされましたが、結果は田辺聖子の何の変哲もない平凡な『センチメンタル・ジャーニー』に決定したのでした。(別段けっして、けなしていません。この小説も、田辺聖子も私は好きです、念のため)

この、被爆者差別・部落差別・在日朝鮮人差別を真正面から描いて、戦争を経て生き残ったが、差別し憎悪し真実を隠し嘘をつくという、日常の中で悪行をせざるを得なくなった人たちの集団を活写する、後に井上光晴の最高傑作とまで言われる作品を、見事に落としたのでした。

この時の『地の群れ』の選評をみると、まず反対派は4人。文芸評論家の中村光夫が、作品の長さ・経歴から不適当として、暗に日本共産党にかかわった人の書いた小説などは相応しくないと言っているようなもので、『金環触』『青春の蹉跌』などが映画化もされている石川達三は、150枚の短編の規約は守るべきであると単に枚数にこだわり、俳人で私小説作家の瀧井孝作は、70頁読んで投げ出した、あちこち掘返したまま片付かず整理してない、くだくだ羅列が続くだけ、と、たしか短編小説の名手と呼ばれた人らしく内容無視で形式重視の発言、舟橋聖一は予選をパスしたことに他の選考委員同様に疑問だとしている。

一方、賛成派はというと2人。大御所・石川淳が、第一に推す、入り乱れた時間の処理がたくみで、そこから事件の綾がさばけて行く、この力量はまんざらでない、作者がすでに有名・枚数を越えていることで選考からはずされたことに納得できない、と真っ向から異議を申し立て、もう一人、高見恭子のお父さんの高見順は、私は推した、今さらという委員もいるかもしれないし本人も今さらという気持もあるかもしれないが、今度の中ではこの作品以外に積極的に推したいものがなかった、とまで大絶賛しているのに、結局は最終的に多数決でダメだったということでしょう。

ことほど左様に、無理解・偏見・無知蒙昧・自らの偏向した文学観でしかものを見られない浅はかさ、などなど、むかしも今も選考委員の本質が問われるべき問題としてあると思います。

それと中村光夫以来、いわゆる評論家が選考委員に加わることがないという風潮も改めるべき事柄だと思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学(小説・詩歌・伝記・随筆・批評)
感想投稿日 : 2011年5月15日
読了日 : 2011年5月15日
本棚登録日 : 2011年5月15日

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