佐々木丸美の孤児4部作の2作目。
独立したストーリーにはなっているが、「雪の断章」の人物たちが後半重要なカギになってくる。
家政婦のトキさんは早いうちに出てくるけどね。
「雪の断章」でトキさんは一日おきに祐也の家に通っていたけれど、それ以外の日はこっちに通っていた、というわけ。
「雪の断章」は良かったのよ。
登場人物に共感はできなかったけど、文体と世界観があっていたから、まあ、面白く読めた。
でも、これは共感できる人物もいないし、そもそも設定がおかしい。
だって、そりゃあ犯罪でしょう?
企業の権力争いで亡くなった人の娘を敵の毒牙から守るため、とは言いながら、どこへとも知れないところへひとりの子どもを隠し、名前を変えて人に預け、15歳からはほぼ家に軟禁状態だなんて、それは犯罪だよね。
詳しい事情も教えず、企業のためにわがまま言うな、我慢しろっておかしいよ。
基本的人権の尊重は?
「雪の断章」は飛鳥という少女を巡る祐也と史郎。
「忘れな草」は葵と楊子が高杉という青年を巡って対立する。
が、彼女たち二人は、運命の巡りあわせで赤ん坊の頃から同じ家で育てられているライバルであり、親友。
どろどろした二人の思いが、事態を余計にこじらせていく。
葵は可愛げがなく、顔だちも地味で、虐げられてそだてられたせいで性格も素直とは言えない。
そんな彼女がなぜ、愛される側になったのかが分からない。
そして、勉強が苦手で頭が悪いというわりに、考えることはずいぶんと哲学的なので、キャラクターに統一感がない。
過剰な自意識を情緒的な文章で書き連ねるのは、もしかしたら70年代の特長なのかもしれない。
今読むと、かなり苦痛。
“愛とは結局あらゆる行動の元素。私たちをここまで追いつめたのは愛に他ならない。喜怒哀楽の建設も生死さえも、この世の大回転は愛に帰結する。微視(ミクロ)と巨視(マクロ)の感情細胞、それが凝縮されて一人ずつプログラムされる、人はみんなそのバネで生きる。失うとか壊れるとか色あせるとか、そんなちっちゃなものではない、感情細胞原子は消滅しない、組み替えが変わるだけ、愛しさが分解再建されて憎しみになり、憎しみ分子が配置転換されて友情になる。心の化学式は本人次第だ。”
てきとーなページを開いて引用しましたが、こんな感じの文章がてんこ盛り。
ハマる人にはものすごく訴える文章なんでしょうが、私は無理。冗漫に感じてしまった。
だけど、謎がまだ大量に残されているので、引き続き3作目も借りてくることにします。
- 感想投稿日 : 2017年5月30日
- 読了日 : 2017年5月29日
- 本棚登録日 : 2017年5月30日
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