九十歳。何がめでたい

3.47
  • (78)
  • (185)
  • (225)
  • (43)
  • (20)
本棚登録 : 1572
レビュー : 276
著者 :
マッピーさん  未設定  読み終わった 

九十歳を過ぎ、身体の方々にガタが来ていると言っているのに、仕事の依頼がしつこい。
それというのも声が大きいせいだと思い、なるべく弱弱しい声で断るのに、攻防戦を繰りひろげているうちにだんだん地声が出て「お元気じゃないですか」ということになってしまう。
声が大きいのは損だ。と憤る。

私が思うに、怒るのも体力が要りますから、やっぱり怒れるだけお元気なのではないかと…。

”進歩というものは、「人間の暮らしの向上」、ひいては「人間性の向上」のために必要なものであるべきだと私は考える。我々の生活はもう十分に向上した。(中略)もう「進歩」はこの辺でいい。さらに文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。”

この文章を読んで中学生の時に習った「知足の喜び」を思い出す。
足ることを知らない、満足できない不幸。
しかも今の世の中、物質的な満足に偏り過ぎているのではないか。

”何の不足もない平穏な暮らしの中では悩んで考えこむ必要がない。考えないから生活からは強さ、自立心、何も生れない、生れるのは依存心ということか。

何の不足もない人が、みんな依存心の塊かというとそうではないと思う。
ただ、自立していなくても生きていけるという事実はある。

無言電話を怒り、三越のトイレの使いにくさに怒っている愛子さんも、この連載が始まるまえは元気じゃなかった。

”週に二日、家事手伝いの人が来てくれるほかは、私は一人でムッと座っている。べつに機嫌が悪いというわけではないのだが、わけもなく一人でニコニコしているというのもヘンなもので、自然とムッとした顔になるのです。本を讀めば涙が出てメガネが曇る。テレビをつければよく聞えない。庭を眺めると雑草が伸びていて、草取りをしなければと思っても、それをすると腰が痛くなってマッサージの名手に来てもらわなければならなくなるので、ただ眺めては仕方なくムッとしているのです。
 そうしてだんだん、気が滅入ってきて、ご飯を食べるのも面倒くさくなり、たまに娘や孫が顔を出してもしゃべる気がなくなり、ウツウツとして「老人性ウツ病」というもはこれだな、と思いながら、ムッと座っているのでした。”

ちょっと長い引用になってしまいましたが、これ、ちょっと前の実家の母がまさしくそうでした。
季節のせいかタイミングなのか、調子がいい時と悪い時があります。

週末アパートの契約更新に行ったとき、管理会社の社長(70代の女性)がおっしゃってたのは「歳をとればよけいに、”きょういく”と”きょうよう”が必要なのよ。「今日行くところ」と「今日用事があること」それが元気で長生きの秘訣なんだから」

大変でも2週間ごとの締め切りは、愛子さんの元気の源になったのではないかと思います。
だから最終章の
”讀者の皆さま、有難う。ここで休ませていただくのは、闘うべき矢玉が盡きたからです。決してのんびりしたいからじゃありませんよ。”
愛子さんには、再び怒りの矢玉を持って、存分に投げつけてほしいなあと思います。

レビュー投稿日
2019年3月12日
読了日
2019年3月12日
本棚登録日
2019年3月12日
0
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『九十歳。何がめでたい』のレビューをもっとみる

『九十歳。何がめでたい』のレビューへのコメント

まだコメントはありません。

コメントをする場合は、ログインしてください。
ツイートする