退職したら読書三昧。
それを心の支えに、日々仕事を頑張っていると言っても過言ではない。
なのに。
“読書にそくしていうなら、五十代の終わりから六十代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている。現に、かつての私がそうだった。
しかし六十五歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち七十歳。そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。”
そうなんだ。
残された家族が本の処分に困らないように、今のうちに売ったりあげたり捨てたりしようとするが、体力気力が持たず途中断念。
それ故図書館を利用することによって、購入〈所有〉を減らすことに作戦変更。
幸田露伴の勉強法
“ひとつのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。(中略)こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという。”
確かにここ数年、ふっと空間が埋まったと感じることがある。
ああ、ずっと読書が好きでよかったなあ。
覚えられない。
すぐ忘れる。
目がかすむ。
体力がなくなる。
集中力が続かない。
齢をとるって想像以上にいろいろ大変で、読書どころではないらしい。
知の巨人と言われた人たちにしてそうなのだから、私ごときはどれほどぼろぼろになるのだろう。
“おとろえるのはつらいし、わびしい。ところが、その「つらい・わびしい」の一方で、思いがけず、高速度で老いおとろえてゆくじぶんへの抑えがたい好奇心が生じている。そしてそのこと自体におどろく―。
いうまでもなく、老いというのは老人自身にとっても初めて体験するできごとなのだから、つよい好奇心をいだかずにいることのほうがふしぎ。”
齢をとっても好奇心を持っていられたらいい。
すぐ忘れても、すぐ疲れても、読書を楽しめるのならそれでいい。
本を膝に置き、ひなたぼっこしたままあの世に行けたら、と思っているのだけれど。
- 感想投稿日 : 2017年9月29日
- 読了日 : 2017年9月29日
- 本棚登録日 : 2017年9月29日
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