この物語は祭りといってもただの夏祭りのようなものではなく、戦争が終わった後の凱旋を祝う祭りであり、1895年の凱旋祭と称される街が様々な色で彩られ、知事などの官職の人も参加する祭が舞台の物語である。
同時期の歴史的な背景にあるのは、1894年の夏から開始された日本と清の日清戦争。その戦争の勝利か勇姿を称え、これが行われたのではないかと推測する。実際にも全国各地でその雄姿を称えた祝賀会が行われていたという記述も存在する。
凱旋祭前日が書かれている前半部分は主人公が開催目前の凱旋祭の場に訪れ、祭りの華やかな装飾や建造物をみている場面が書かれている。作者、泉の紡ぐ一つ一つの物や情景を描写が細かく、鮮明にかかれているため、その華々しさがよく文字だけでも伝わってくる。
しかしこの夜、その建造物に灯が灯れば、華やかな凱旋祭の雰囲気が一転し、すべてがどこか森厳で不気味な雰囲気へと変化する。
後半部分は、凱旋祭当日の話であり、前日の晩とはうって変わって凱旋祭のにぎやかで華やかな会場で作者の視点。
この場面でも前半同様、様々な色の物で構成される祭りの美しさの描写がされている。
だがこの小説は、『ただの美しい祭り』で終わるような簡単な作品ではない。
作者が人の波に呑まれて会場内を右往左往する場面がある。
不意に群衆が二手に分かれ、主人公はよろめきながらも開けた前をみると、何か黒くて長いものが目の前を矢のように横切る。
ここからが泉の作風の代表の一つとして挙げられる、幻想文学の神髄が展開されていく。
横切ったものの正体は塗りつぶされたように黒く、形がおぼろげで、その姿は、まるでムカデのようなもの。
それは列をなして、少し高い丘へと歩みを進めていく。
これはほんの一部で、後に作者の知り合いのある少尉の令閨を含めた来客の人々がその不気味な列に囲まれて呑まれていく等、前半の部分とは大きく異なる展開がされる。
現実的な描写ではなく、ラストに向かっていくに従い、現実離れした怪奇のような不気味で幻想的な文章へと変化する。
これにより、読んでいる人間をより一層、飽きさせず、小説へと引き込んでいるのではないか。
内容が少々グロテスクな描写があるので、抵抗がある人もいるかもしれないが、泉鏡花の紡ぐ文章は描写の一つひとつが細やかで美しく、読むにつれて変化していく物語や作風も面白いのでぜひこの本を手に取って読んでいただきたい。
- 感想投稿日 : 2019年10月16日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2019年10月16日
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