【事件の詳細】
・ウルグアイ空軍機571便遭難事故
【あらすじ】
ウルグアイのラグビーチームは、昨年チリチームとの遠征試合が充実したものだったため、今年も行くことに。飛行機にはチームメンバー以外に、応援団や家族など乗客40名+乗員5名が乗り、チリへの飛行はアットホームなお祭りムードで楽しいものだった。天候が安定しない状態でアンデスに差し掛かり、向かい風を受けた機体は管制塔の指示に従うには減速しすぎておりコースを変更しようとして山に激突→機体の後部は一部の乗客・乗員ごともぎ取られ、翼が折れたまま機体は雪山を滑落。生き残った者は喜ぶ間もなく、高度4,200m最低気温-40度に立ち向かわなければならなくなる。
【以下ネタばれあらすじ】
機体後部にいた5人+滑落時に即死9名+負傷後死亡3名、と初日の生き残りは28名だった。すぐ救助が来てくれるはず、と期待するも全く来ないまま極寒の雪山に閉じ込められる。医療道具もない状態で医学生のカネッサとカリトスは応急処置を施すが、ナンドの妹は力尽きて死んだ。何しろ食料は1日チョコ1かけとワインおちょこ1杯なのだ。これでは助かった命を無駄にすることになる。
墜落から10日ほど経った頃、捜索が打ち切られたニュースをラジオで聞くに及び、一行は死体を食べることを真剣に検討し始める。ほぼ全員の意見はこうだった→自分が死んだら自分を食べて生き残って欲しい。
墜落2週間後カネッサを先陣に死体の肉を口にする。その数日後、雪崩が機体を襲い8人が死亡、生き残りは19人に。
比較的体力のある者が無線の電池を探しに何度か山を登った。最終的に電池は見つかったが無線は動かず、一行は山越えしてチリに行くor DIEという状態になった。しかし山越えも防寒具のない状態では死にに行くようなものだ。機体の断熱材から寝袋を作り、山越えを決意した頃には墜落から2ヶ月経過、生き残りは16名になっていた。予想以上に険しく途中で1人帰らせたカネッサとナンドは、終にチリの農夫を発見して救助される。墜落から72日目のことだった。
映像特典として20年後の生存者ドキュメンタリーがあり、ナンドさんが
「ヒーローになりたかった訳ではない。
あの事故に遭わなくて良いのなら
母親や妹や友人を失わなくて済むのならば
その方がどんなに良かったか」
というようなことを語っていました。
ナンドさんは当時22歳、生き残った人達もほとんどが19~20代前半でした。生きてこその幸せ、その重みを感じます。
※2006年3月-2011年1月までやってたブログより転載
- 感想投稿日 : 2017年2月16日
- 読了日 : 2017年2月5日
- 本棚登録日 : 2017年2月5日
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