この人の閾 (新潮文庫 ほ 11-2)

  • 新潮社 (1998年7月1日発売)
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本棚登録 : 525
感想 : 52

彼は、誰かと話をしている。
彼は男で、話し相手は女であるが、よくある男女の話ではない。
それを、不足と感じたり、彼の奥に相手への思いがあるのではとどこかで気にしたりしてしまうくらいに、世の小説には男女の話が多い。
この小説は、その点で他と違う。

彼は話している女の人のことをどう思っているんだろう?、と私が考えてしまうのは、小説の恋愛物語に慣れているから。
だから、ここで親密さや恋や性が描かれないのは、隠されているんだと思ってしまう。
彼の中のそういう部分は、あるのだが、わざわざ書き表されてないんだと。
それは、心の描写をする小説界から遠のき、人が普段生きる世界を神の視点で見た様子に近ずく。

恋や性が描かれると、それとともに自分自身についても掘り下げられていく。
恋や性が取り上げられなかったとしても、家族関係や仕事関係、戦争、運動、でも自分自身の内省になっていくことがあるが、この小説は、そういう自分についての語りもあまり強くない。


恋、性がない小説↓
中野重治『むらぎも』、魯迅、庄野潤三『夕べの雲』、大江健三郎『静かな生活』、マリー・ンディアイ『こころふさがれて』、ミヒャエル・エンデ、SF作家、カポーティ『草の竪琴』、三島由紀夫『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』、遠藤周作『沈黙』等。
恋心や性が描かれていないこういうものは、知的階級と労働階級とか、家族とか、差別偏見とか、SFとか、日本におけるキリストとか、それぞれ何か大きな括りの話をしているが、保坂和志のこの小説はそのようでもない。

なんてことないから描かれなかった日々のほとんどの部分、を描くことにしたような会話。

私の友達に恋愛に興味がない、という子がいる。
その子は、私とその友達bともう1人aと3人で話していたとき、aが付き合っている人の話をした。
その時、私がaにどういう質問をしてどういう声色で返しているのかを見て、その後、恋愛話に遭遇した時には、それを参考に対応しているとbは言った。
bは、興味がないし、どういうことを聞けばいいかもわからないから、恋愛話が本当に困るようだ。
私は、bと出会ってから何年かは、あんまりそういう話しない子だとは思っていたが、そこまでだとは知らなかった。
私に本音を言わないだけで、心の奥に男の人を見つめる目があるものだと思っていた。
化粧品売り場で、化粧品を選ぶ様子は、頭の中に男の人がいるのかと思っていたし、赤い口紅で引き締めた顔は魅力的に見られたいという心なのかと思っていた。
私の感覚を他の女も当然持っていると思っていたけれど、そうではない。
同じような感覚を持っている女もいるが、全然違う子もいる。
恥ずかしくて隠していて、本当はそうなんでしょう?、というのも違うんだ。
本当に違う感覚で生きてきた人がいる。
彼ができたaの話を聞いていた時、経験がある子はやっぱり違うなって言ったのを、彼がいるaの経験だと思っていたが、そうではなくaの恋の話に対応する私のその問いかけやうなずきや反応のことを指していたのだと知って、非常に驚いた。

また能町みね子さんがTwitterで、小学校の国語の教科書に載っていた話が当時分からなかったという。
2022/7/31のtweet
『春先のひょう』
「看護婦をしてたお母さんが氷枕のために必死で外に出て雹をかき集め、そしたらキュウリ畑を荒らしてしまって持ち主の患者に怒られ、でも今度はその患者にお母さんが助けられた…っていう思い出を語って、子供が「だからお父さんもお母さんもキュウリが好きなんだね」って話で、最後に「お父さんもお母さんもキュウリが好きなのはなぜ?」と聞かれて小学生の私は「は?お父さん一回も出てきてなくね?」と、まるっきり分かんなかった。当時から男女の出会いとか恋愛とかが、素で脳内に一切浮かばなかったんだな
この問題がまるっきり分かんない(上に、解説を聞いてもよく分からなかった)ってことが衝撃で、覚えてる。やっぱり自分の中に経験とか感覚とか一切ないものは解きようがないよねえ…って思う。」
というtweetを読んだ。
さらに、なぜ音楽は恋愛ソングばかりなのかとも以前言っていた。初期のスピッツはそういう歌を歌わなかったから好きだったと言っていた。


私の友達と能町みね子の話を出してみた。
小説に男女関係、内省、が無いのを物足りなく感じたけれど、私の友達や能町みね子はこういう小説をどう受け取るのだろうか?
男女の話にならなくていいなと思うのかな?
哲学の本とか、評論の本とかは、男女の話にならない部分が多いな。
仕事とか、covit-19に対する政策とか、物価高とか、猛暑とか、成績の話とか、話す事って恋愛以外にも沢山あるし、それについて話さなければ毎日の生活が仕事がダメになっちゃうようなことが沢山あるのに、毎日職場で恋愛話なんてそんなにしないのに、どうして小説や歌や映画には恋愛が描かれるんだろうね? この本を読んで変だなと思った。


保坂さんは、植物が好きなんだな。
私も好き。

芥川賞の選者コメントを読んだ。
この取り留めのない会話の小説が、世に溢れるドラマのある小説を遠くから見直すきっかけになったが、そのきっかけだけが私の中では大事で、きっかけの役割が終われば、その他の著書を読む気が強く湧いてこない。
著者は、この取り留めのない会話の小説を続けていると聞く。
そうなると、私が得たきっかけとしての役割以外にも、この小説に何かを著者は込めているはずだ。
彼の小説には何があるのか?
はじめ私が得たきっかけ、以外の読み解きが必要だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年8月5日
読了日 : 2022年8月3日
本棚登録日 : 2022年8月3日

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