これからお祈りにいきます (角川文庫)

  • KADOKAWA (2017年1月25日発売)
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あなたは、どんな時に『お祈り』をするでしょうか?

合格祈願、安産祈願、そして宝くじが当たりますようにといったものまで、人が『お祈り』をする目的はさまざまです。普段、神社仏閣には見向きもしない、そんな人であっても、何か困りごとがあるとそんな神社仏閣に赴いて厳かな気持ちで手を合わせ『お祈り』をする。祈られる側になったことはありませんが、神様仏様も、そんな私たちのことを随分と身勝手な奴らと呆れて見ているかもしれません。

そんな風に私たちの願い事というものはさまざまです。一方でそんな『お祈り』によって叶えて欲しいと思う先も多種多様だと思います。それは、自分のことかもしれません、家族のことかもしれません、そして、特別に思う誰かのことかもしれません。相手が誰にせよ『お祈り』をする時はその人のことを気にかけ、その人のことを深く思い、そしてその人が幸せになるようにと願いをかけるものです。

ここにそんな『お祈り』をテーマに書かれた二編を収録した作品があります。「これからお祈りにいきます」というこの作品。それは、

『何事もないように。いやもちろん何事かはあるだろうけれど、あらゆる物事ができるだけ早くそこから回復できるように』。

そんな願いを『お祈り』の先の未来に見る主人公たちの日常を描いた物語です。

『酸っぱさと革が入り混じったような臭いで目が覚めた』のは主人公の高嶋滋(タカシマ シゲル)。そんなシゲルは、『もっと寝ていたい、と朦朧とする頭を振りながら』、ニスの臭いの元となっている『弟が廊下で乾かしている紙粘土細工』を階段から階下に落とします。『この数か月ほど』、『ときどきにしか登校せずに、ひたすら自宅で紙粘土細工を作り続けている』中二の弟のことを思うシゲルは、弟には『人間的なものが欠けている』と考えます。そんなシゲルは『毎朝毎朝登校しなければいけないこと』、『吹き出物だらけで皮脂が出やすい体質』など、『自分の身の周りで起こるだいたいのことに怒ってい』ました。一方で『図工や家庭科の時間に作った人体の一部を捧げるサイガサマについての自由研究作文』で『市長賞をもらった』ことのあるシゲルは、弟が『サイガサマに捧げる』ために『人間の体の内と外にあるものをすべて作っていくつもり』ではないかと訝しがります。『あの神様に関わって以来むしろおれは下り坂だと』考えるシゲルは、『母親はアホだし、おまえは頭がおかしくなったし、父親は不倫をしている』と『弟に言ってやりたいと思』います。場面は変わり、『公民館でのアルバイト』をするシゲルは『図書室から掃除を始め』ました。そんな中、『職員さんのほうを手伝ってくれへんかな』と上司の持田から頼まれたシゲルは『申告物教室の夜間受付』を担当します。『諸願成就と交換に、人間の体の一部を持っていくという』『サイガサマ』。一方で『手当たり次第に体の一部を持っていかれると、命がなくなってしまう場合もあるので、「基本これだけはやめてください」という意味で申告物を作り、年に一回それを捧げる』という毎年冬至に行われる恒例の祭りへ向けて『申告物』を作るために教室へと通う人たちを受け付けるシゲルは、『この町の人々の申告物作りに対する関心の高さ』に『やや辟易』もします。そんなシゲルの日々の暮らしと家族との関係が祭りの日のXデーへと向けて淡々と描かれていきます…という中編〈サイガサマのウィッカーマン〉。どこかゴツゴツとした印象の読みづらい冒頭を経て、いつかしら『サイガサマ』という独特な祭りにどこか囚われていくのを感じる好編でした。

一つの中編と一つの短編から構成されるという少し不思議なバランスのこの作品。両方の作品に関連はありませんが書名の通り『お祈り』に関連した内容が提示されています。ではまず、それぞれの作品について、一見摩訶不思議なタイトルとともに、その内容をご紹介しましょう。

・〈サイガサマのウィッカーマン〉: 『自分の身の周りで起こるだいたいのことに怒っている』という高校生の高嶋滋が主人公。『母親はアホだし』、中二の弟は『不登校を貫いている』し、『父親は不倫をしている』と家族にも腹を立てています。そんなシゲルは、こちらも不満はあるものの『公民館の清掃アルバイト』をしています。そんな中、毎年冬至に行われる町をあげての『サイガサマ』の祭りへ向けて『申告物』を準備するための教室の受付を担当させられます。そして、祭りのXデーへ向けてバイトを続けるシゲルの日常が描かれていきます。

・〈バイアブランカの地層と少女〉: 京都にある大学の『学生ガイドサークル』に所属しているのは主人公の十和田作朗。そんな作朗は、『高校三年の晩秋に地学部の吉村みづきちゃんに、家の真下に活断層が通っていることを指摘され』、『しばらくの間不眠に陥った』過去を引きずっています。そんな作朗は『京都観光に興味がある外人のためのコミュニティ』サイトを知り、頻繁にコメントを書くようになります。そんな中、Juanaというブエノスアイレスに暮らす女子学生とメールでの交流が始まり、やりとりの中で力強い一歩を踏み出していきます。

二つの作品の分量は2 : 1といったところであり、一冊の本に収録される二作としてはどこかバランスが悪いようにも感じます。もちろん人にもよると思いますが、そんな長短も影響しているのか、読後に印象に残るのは圧倒的に一編目の〈サイガサマのウィッカーマン〉だと思います。『サイガサマ』とカタカナで書いてあると意味不明ですが、主人公の暮らす町の名前が『雜賀町(さいがちょう)』であると漢字で書けばなるほどとお分かりいただけると思います。そう、この『サイガサマ』というのは『雜賀町』をあげて一年に一度行われる冬至の日の祭りの対象であり、その『サイガサマ』という神様に対する町の人たちの”信仰”が興味深く描かれていきます。そんな物語の冒頭は一見意味不明です。そもそも『自分の身の周りで起こるだいたいのことに怒っている』と、苛立ちの感情が先行する主人公のシゲルは、この作品を読み始めた読者の感情移入を激しく拒みます。私も久しぶりに途中で読むのを投げ出しそうになるのをひたすらに堪える我慢の読書を強いられました。そんな読む側である私の苛立ちを抑えてくれたのがこの『サイガサマ』という摩訶不思議な神様のお話でした。それが、『諸願成就と交換に、人間の体の一部を持っていく』という不思議な神様の行為です。願いを叶えてもらうために私たちは、神様に『お祈り』をします。しかし、その代償として体の一部を持って行かれるというのは、祈ること自体を躊躇するものがあります。そんな中で妥協の産物とも言えるのが『「基本これだけはやめてください」という意味で申告物』を作って、年に一回、冬至の日に捧げるという考え方です。子どもたちも、そして大人たちも、そのXデーに向けてひたすらに『申告物』の準備をするという展開が描かれていく物語は、見方によっては狂気ですが、この作品を読んでそんな風に捉える人はまずいないと思います。どこかコミカルで、どこか微笑ましい、そんな物語が展開していくからです。そんな中であれほど嫌悪感を感じていた主人公のシゲルにいつの間にか感情が移っていることに驚く結末に、津村さんの主人公に対する愛情の眼差しを感じました。

“芥川賞作家が瑞々しく描き出す、不器用な私たちのまっすぐな祈りの物語”と宣伝文句にうたわれるこの作品。そこには、どこか不安定な青春を生きる主人公たちの姿がありました。そんな背景に描かれていく祈りという行為の先にあるこの物語。

人が祈りという行為を行う時には、そこにその行為によって何かを変えたい、何かを助けたい、そして何かに幸せをもたらしたい、そんな思いが背景にあるのだと思います。一方で、人がそんな風に何かに強く『お祈り』をする時は、その何かのことを強く思い、さまざまな努力をします。そんな強い思いのその先に『お祈り』という行為が存在するのだと思います。この作品の主人公たちは、何かしら不安定な心の中に生きていました。そんな中で誰かのために祈りを捧げるという行為は、そんな祈りを捧げる主人公たちの行動を、そして、心のあり様も変えていく、そんな物語がこの作品には描かれていたのだと思います。

一種の”青春もの”とも言える世界観の中に、『祈り』をテーマに書かれた二つの物語から構成されたこの作品。冒頭からは全く予想できない爽やかな結末に、ほんの少しだけれど確かに一歩前に進むことのできた、そんな主人公たちの未来を感じた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 津村記久子さん
感想投稿日 : 2022年7月11日
読了日 : 2022年4月21日
本棚登録日 : 2022年7月11日

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