『中学生なんて、なるときは、誰でもなる。地元の公立中学校だから、新入生の半数は知った顔。そう思うと気も楽で、入学式の日もそんなに緊張しなかったけれど、唯一、クラス発表のときだけは胸がどきどきした』
私立の中学校に進めば、そこに知った顔がいることにあまり期待できないかもしれませんが、公立中学に進む限りは相当数の知った顔がその場に集うことになる分その存在を意識することになります。そうであるが故に、ゼロからの友達作りの覚悟をもって臨む他ない私立中学よりも、ゼロからではないかもしれないという期待感の残る公立中学のクラス発表の方がある意味緊張感をもって臨む場になるようにも思います。今はすっかり遠くなってしまったそんな過去を思う時、『無事に最初の一歩を踏みだす』ということは、いかに友達を作るか、いかにクラスの中に自分の居場所を作るかということだったな、と当時の記憶が蘇ります。そんなある意味必死だったあの時代、一方で、そんなことを考えていたのは自分だけだったのだろうか?みんな、何かしら同じような悩みを持って生きていたのではないだろうか?そんな風にも感じます。
誰もがみんな必ず通る中学校時代。誰もがみんなそれぞれに思い悩む中学校時代。そして、誰もがみんな昨日より一歩前に進んでいく中学校時代。この作品はそんな中学生たちの日常を、森絵都さんが優しい筆致で丁寧に、それでいて緻密にリアルに綴っていく、そしてクラス全員が主人公になる物語です。
『若草色の風が吹きぬける四月、それまでふたつに結っていた髪をポニーテールにまとめて』中学生になったのは24名いるクラスメイトのトップバッターとして登場する相本千鶴。『新入生の半数は知った顔』という『北見第二中学校は、一年生がA組とB組の二クラスだけ』の少人数校。『A組か、B組か。確率は五十パーセント』にも関わらず『小五のときからの親友、彩菜と離ればなれになってしまった』というクラス分け。『A組なんてやだ』、『B組なんてやだ』、『クラスがちがっても親友でいようね』、『うん。ずっとね』と『彩菜と別れてひとり、A組をめざす』も足が重い千鶴。教室の扉を開けると『千鶴!』と手をふる『小六でおなじクラスだったレイミー』を見つけてホッとする千鶴。『座席順は黒板に書いてあるから、そのとおりに着席してくださいね』と指示するのは『担任の藤田ありみ先生』。『一年間を無事にすごす上で、担任のキャラは重要だ』と思う千鶴。『クラス分けのたび』に『出席番号一番の生徒がどれだけ不利な立場』かを不満に感じる千鶴。『窓ぎわの最前列。一番すみっこの角』というその座席。『一番前の角だから、前を見ても、左を見ても、誰の机もない』というその座席。『右どなりにいたのは、北見小学校でみんなに恐れられていた久保さん』という衝撃。そんな中『後ろの空席へと』一人の女子が近づいてきました。『はじめまして。わたし、相本千鶴です』と『最大級の明るさをふりしぼ』って声をかける千鶴。『こちらこそ、よろしく。あたし、榎本志保里。なんか、どきどきしちゃって』と返す志保里の言葉にほっとする千鶴。『エノモトシホリ。ひとりぼっちにならないためには、なんとしてもこの子を捕まえておかなきゃ』と思う千鶴。『二十四人のクラスメイトたちがひと言ずつ自己紹介をし』、『クラス委員長やほかの委員』も決まってスタートした『中学生活』。『壁が薄れて、ゆるやかにまじりあ』う二つの小学校の生徒たち。『教室にこぼれる笑いの量が増えた』と『日ごとに、教室が、千鶴の好きな色に変わっていく』という日々。そんな千鶴を含む24名の中学一年生の一年が描かれていきます。
一学年二クラス、一クラス24名という少人数中学校の日常が描かれていくこの作品。『ふつうの子の話が書きたい、というのがまずあったんです』と語る森絵都さんがおっしゃる通り何か特別な設定があるわけでもなく、ごくごく普通の中学生の日常が淡々と描かれていきます。森さんはそんな作品の中で、夏休みまでの「前期」とそれ以降の「後期」に二分割した形で一年間の学校生活を描いていきます。そして、それぞれを12の短編に分け合計24の短編それぞれにクラスの全員を主人公として順番に登場させるという、意欲的な試みをされる森さん。学校の日常を描いた作品は多々ありますが、クラスを構成する全員に平等に光を当てるというのは画期的な手法だと思います。それについて『全員を主人公にしようと考えたのは、教室というひとつの空間で、一人一人の瞳に映る風景の違いを掬いとってみたかった』からと語る森さん。このレビューを読んでくださっている皆さんも語り出したら止まらないほどの思い出溢れる中学校時代をそれぞれ過ごされたと思います。そんな思い出は、誰の中学時代が優位で素晴らしいなどとはとても決められるものではありませんし、決めるものでもないと思います。そんな風に考える時、24名を全員主人公にするというこの森さんの試みはとても興味深く感じます。
そんな24名全員が主人公となるこの作品のトップバッターとして〈鈍行列車はゆく〉という短編の主人公を務めるのが相本千鶴。『自分がごくふつうの目立たない生徒』であると自分自身でも思っている千鶴。『勉強もふつう。運動神経もふつう。顔もふつう。性格もいたってふつう』という千鶴は、短編タイトルそのままに『絶対、脱線しない鈍行列車』という人生を送ってきました。そんな『ふつうの中学生たちの、なんてことのない日常』という作品世界を象徴するような登場人物からのスタートを敢えて選ばれた森さん。しかし、そんな『ふつうの中学生』の日常に魅力がないかと言えばそんなことはありません。確かに大きな事件や、大きな出来事がある方が物語のインパクトという面では大きいでしょう。しかし、我々の日常は圧倒的に『ふつう』の日々の繰り返しです。昨日と今日で何が違うのかという平々凡々とした日常。そんな中でも、日々誰かと語らい、誰かとケンカし、一方で誰かと新たに仲良くなる、そんな繰り返しの中で少しづつですが私たちは変わっていきます。そんな人の心の変化の機微を絶妙に描いていくのがこの作品の一番の魅力です。そんな中から一点とても絶妙な点に着目しているなと感じたのが次の表現でした。『親友とクラス分かれちゃって』と戸惑う千鶴でしたが、志保里との出会いにより『無事に最初の一歩をふみだ』します。『日に日に教室にいる時間がのびていく』という中学校生活。『みんなの顔と名前が少しずつ一致しはじめ』、『教室の戸が軽くなった』と感じる千鶴は、一方で『セーラー服のスカーフを一度で結べるように』なり、『ポニーテールの襟足がすうすうするのに慣れた』と、中学校生活に慣れていく自分を日常生活の中でも実感していきます。そんな少しづつの変化の中でこんな一文が登場します。『B組に彩菜を訪ねていく回数が減った』というその一文。クラスでの生活に慣れ、かつての友人を頼らなくても済むようになった心情の変化。小さくもとても大きな変化をこの一文が絶妙に表現しているように思いました。そして、森さんの描く、このような細やかな描写の積み重ねが、この作品の描く世界を過去の自身の日々に重ね合わせて見るようなそんなリアルな感覚を与えてくれるようにも感じました。
そして、この作品がさらに巧みだと思うのは『ふつうの中学生』である24名の彼らそれぞれに性格付けがきちんとなされているという点です。『女子の仲よし三人組なんてろくなものじゃない』と自分のいないところで他の二人が仲よくしすぎていないかと思い悩む志保里。『教室のムードが暗いときでも、自分のまわりには笑いがある。笑顔のまんなか』にいたいと考える蒼太。そして、『あんたって、ヒロの金魚のフンだよね』と揶揄される自分を不甲斐なく思う敬太郎など、実際の中学校の中でも普通にいそうな生徒たちの姿が絶妙に描き分けられていきます。そして、そんな彼らの中で始業式から構築されていく人間関係。その構築のために全く新しい環境でみんなが戸惑いながらも落ち着いた日々を送るために最初の一歩、勇気を出した一歩を踏み出していきます。人間関係を築いていくというのは私がここで言うまでもなく大変なことです。『本当の友達を見つけるのって、すごく時間がかかるものよ。千人中千人と気が合わなくたって、千人一人目とはぴたっと合うかもしれない』とあるように、なかなか友達が出来ずに悩む気持ちは誰もが持つものです。そんな中では人間不信に陥り『うっかり信じたら、バカを見る。誰にでも表と裏がある』と考え、『中学校は油断がならない。誰が本当か、何が本当かわからない』というような深い悩みの底に落ちていく生徒も出てきます。そんな彼らに順番に光を当てていくこの物語では、そんな悩みが決して一人だけのものではなく、誰もがそれぞれに思い悩むものであり、またその思い悩む点がそれぞれに異なるということがとてもよく見えてきます。そして、読者も誰かに感情移入してしまう、そう、かつての自分の立ち位置と同じ位置にいる、そんな彼、彼女をこの物語の中に探してしまう、そんな瞬間を感じる読書の魅力がこの作品にはあるように感じました。
24名の生徒たちが順番に主人公となって登場するこの作品。「前期」では、四月に入学した24名の生徒たちの人間関係がゼロから次第に出来上がっていく過程をとても興味深く見ることができました。そして、まだ視点が切り替わっていない12名の生徒たちについても、他の生徒視点の会話の中で数多く登場していて、次にこの生徒視点に切り替わったらどういった物語が展開するのだろう、と興味が募ります。また、前半で魅せてくれた彼、彼女が伏線となって描かれていくであろう「後期」には、この視点からも興味が尽きません。
ということで、とても上手く構成されているが故に「後期」もとても楽しみになる、そんな魅力いっぱいの「前期」でした。
- 感想投稿日 : 2020年12月19日
- 読了日 : 2020年11月19日
- 本棚登録日 : 2020年12月19日
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