『人は見た目ではわからない。でも、本当はみんな鞄の中にそんな秘密を潜ませているのかもしれない』。
あなたは、通勤、通学の鞄の中にどんなものを入れているでしょうか?この質問の答えは男性と女性で大いに異なるような気がします。勝手な印象で恐縮ですが、男性は財布の他、いつのものかわからないレシートが適当に底に入っているだけ(それ、さてさての鞄やん!というツッコミが入りそうです(笑))というイメージ、その一方で女性の鞄にはさまざまなお化粧道具がビシッと入っている、そんなイメージがあります。
しかし、他人の鞄の中身を実際に見る機会などまずありません。人は当然にそれぞれの価値観の中に生きています。自分の部屋の中、自分のスマホの中、そして自分の鞄の中、そんなプライベートな場所はそれぞれの価値観が詰まった場所とも言えます。そこには、他人にはどうでもいいもの、でもその人にとっては宝のようなもの、そんなものが詰まっているのだと思います。”あなたの鞄の中身を見せてください!”、そんなテレビ番組があったらなかなかに面白そうではあります。
さて、ここに、見た目には『ごくごく普通の、少し浪費癖がありそうな三十代の女性会社員』が主人公となる作品があります。そんな女性の鞄の中には『秘密のコンパクト』がしまわれていると言います。『私の名前は茅ヶ崎リナ!小学校3年生のとき、魔法の国から不思議な動物ポムポムがやってきて、私にこの魔法のコンパクトをくれたの』と『魔法の力』を得た女性は、『コンパクトに向かって呪文を唱えれば、魔法少女ミラクリーナに大変身!』できると言います。
この作品は『今年で36歳になる私は、魔法少女を始めて27年目に突入する。まさか自分でもこんなことになるとは思っても見なかった』と今までを振り返る女性が主人公を務める物語。会社のトイレの個室に入り『キューティーチェンジ!ミラクルフラッシュ!』と叫ぶその先に『ミラクリーナに早変わり』する主人公の姿を見る物語。そしてそれは、そんな主人公が『大人になるということは、正義なんてどこにもないと気付いていくことなのかもしれない』と感じる瞬間を見る物語です。
『小学校3年生のとき、魔法の国から不思議な動物ポムポムがやってきて、私にこの魔法のコンパクトをくれたの』というのは主人公の茅ヶ崎リナ。そんなリナは、『コンパクトに向かって呪文を唱えれば、魔法少女ミラクリーナに大変身!』と説明します。『困った人をこっそり助けたり』、『闇魔法を使う悪い魔女の闇組織、ヴァンパイア・グロリアンの企みを阻止したり』というリナは、『今日も皆を笑顔にするために、ミラクリーナはがんばります!』と続けます…という『設定』で『魔法少女ごっこ』をしていた小学校時代を思うのは『今年で36歳に』なったリナ。しかし、そんなリナは『黒のセリーヌのバッグ』に入れた『ポムポム』という『ブタのぬいぐるみ』のことを思います。そんなリナは、『遅くなってごめんね、マジカルレイミー』と居酒屋で先に待っていたレイコに話しかけます。そんなリナに、『もうやめて…いつになったら許してくれんの』とレイコは返します。『小学校の時からの友達』というレイコの誘いで始まった『魔法少女ペア』、それを『今でも現役で続けているのは、私だけかもしれない』と思うリナ。『妄想するだけならだれに迷惑かけるわけでもなし、お金がかかるわけでもない』というリナは、会社で嫌なことがあった時などトイレ個室に入り『キューティーチェンジ!ミラクルフラッシュ!』と『ミラクリーナに早変わり』して危機を乗り切っています。そんなある日、『11時を過ぎたころ、レイコが暗い顔でやってき』ました。『上司と昼ご飯食べに行った』ことを『浮気だ』と騒いだ彼氏の正志に『スカート』をぼろぼろに切られ、『壁を殴』り続けられたというレイコの説明を聞いたリナは、取り敢えずレイコを泊まらせることにしました。結局、しばらくリナの元に留まることになったレイコ。そんな四日目のことでした。家に着くとドアの前に正志を見つけたリナ。そして、ドアから現れたレイコを見た正志は『レイコ、許してくれ、頼むよ!!』と大声を出し始めました。やむを得ず部屋に正志を入れたリナは、二人の話を聞くことにし、自分がレイコを守ろうと決めます。そんな中、『レイコを連れ戻すためなら何でもする』と泣き顔を見せた正志に、リナは一つの提案をします。『何でもやるって言ったわよね…じゃあ、魔法少女になりなさいよ』。そんな提案に半ばやけになった正志は『俺はやる!俺はマジカルレイミーになって、レイコへの愛を証明してみせる!』と宣言するのでした。そして、『ミラクリーナと二代目マジカルレイミーのパトロールがはじまった』という丸の内の『駅の平和を守る』日々が描かれていきます…という最初の短編〈丸の内魔法少女ミラクリーナ〉。冒頭から”村田沙耶香ワールド”どっぷりに浸れる絶品でした。
“さまざまな世界との対峙の仕方を描く、衝撃の短編集!村田沙耶香ワールドの神髄を堪能できる4篇を収録”と内容紹介にうたわれるこの作品。それぞれに繋がりのない四つの短編が内容紹介どおりの”村田沙耶香ワールド”にどっぷりと浸らせてくれます。村田さんの作品は、その書名だけでなく、表紙もかっ飛んだものが多いように思いますが、この作品も「丸の内魔法少女ミラクリーナ」という書名、そして二人の女性がコンパクトを手にした現代アートのような表紙に、否が応にもどんな世界が待ち受けているのか期待度MAXに心も踊ります。
では、まずは「小説 野生時代」に連載されたという四つの短編の内容をご紹介しましょう。
・〈丸の内魔法少女ミラクリーナ〉: 『魔法少女を始めて27年目に突入する』という『今年で36歳になる』茅ヶ崎リナが主人公。『皆の笑顔が、私にとっての最高のマジック』というリナは、友人のレイコが彼氏からDVを受けていることを知り匿います。しかし、そんなリナの部屋に彼氏の正志が訪ねてきて、レイコと三人での話し合いに。その場でリナは正志に、レイコを連れ戻したかったら『魔法少女になりなさい』と命じます。そして、丸の内の『平和を守る』活動が始まります。
・〈秘密の花園〉: 『駅前のコーヒーショップ』で、友人のナツキとお茶をする千佳は、『同じゼミの早川』に彼女の亜里沙から電話が繋がらないと怒っている話を聞きました。3LDKの実家で親の転勤のため一人暮らしをする千佳。そんな千佳は『私は、同じ大学の早川くんを監禁している』という状態にありました。『早川くんは大人しく、この鍵に閉じ込められている』と『銀色の鍵をそっと撫で』る千佳。そして、『ただいま』と帰った家で『早川くんの手錠を外し』ます。
・〈無性教室〉: 『トランスシャツとよばれるぴっちりとしたタンクトップ』『を着て胸がつぶれた状態に』した上から指定の制服を着たユートは家を後にします。『ユート、おはよう』と声をかけるのはユキ。そして『コウとミズキ、後ろからセナが三人で歩いて』きて合流した面々。そんな中、『トランスシャツで締め付けられている』セナの『身体がどうなっているのか』知りたいユート。『一人称は「僕」でなければならない』という、ユートの『学校では、「性別」が禁止されてい』ます。『本名は「優子」』というユート。
・〈変容〉: 夫の提案を受け、ファミレスで働き始めた真琴は、同僚で大学生の『高岡くんと雪崎さん』と過ごす時間を『心地よく感じるようにな』りました。そんなある日『そっちのミスだろうが!…』と怒鳴る男性客に頭を下げる高岡の姿に『えらいね…むっとした顔もしないで』と労う真琴に『むっとする…?』と『ぴんとこない様子の高岡。同じことが雪崎にも起こります。そんな二人は『怒る』というのは『昔の本』に出てくる感情で自分たちには理解できないと語ります。
いかがでしょうか?内容紹介に書かれた”さまざまな世界との対峙の仕方を描く”という感覚がどことなくお分かりいただけるかと思います。よく”ざらっとした感覚”という表現を聞きますがまさしくそんな雰囲気です。そんな四つの短編は二つに大別できるように感じました。それは、現実世界にもギリギリありそうなものと、間違いなく未来世界を描いていると思われるものです。
まずギリギリありそうに感じる前者ですが、一編目と二編目が該当します。その代表が36歳になっても『魔法少女』を続けるリナの物語でしょうか。『残業が終わってやっと帰ろうという時』、『今日中』にと書類を突きつけられたリナ。そんなリナは一旦トイレ個室に駆け込み、『キューティーチェンジ!ミラクルフラッシュ!』と叫び『ミラクリーナに早変わり』します。そして、自席に戻ったリナは『異様な集中力』で『仕事を仕上げ』てしまいます。そんなリナが友人のレイコの彼氏である正志に仲直りの条件として突きつける『魔法少女になりなさい』の先に描かれるのは壊れてゆく人間の物語。とても良くできた物語の中に痛快感溢れる作品です。『私は、同じ大学の早川くんを監禁している』という衝撃的なシチュエーションから展開する千佳の物語も展開のエグさはありますが、ギリギリ現実世界の物語です。ということで、これら二つの作品はリアルさを感じる分、自分の身近にもいるのではないか?という思いも感じさせるところに面白さがあると思いました。
一方で、三編目と四編目はどう考えても、少なくとも現代社会にはありえない感覚の物語です。『学校では、「性別」が禁止されてい』るために、性が判別できる身なりは禁止されているというユートの世界の物語は、昨今のSDGsの動きの中でこの国でも語られるようになったLGBTQの行き着く先の人間社会を表しているようにも感じます。『性』というものは何なのだろう、私たちは『性』なくしてどんな社会を生きていくのだろう、展開する強烈なシチュエーションにギョッとはしますが、どちらかと言うと”考えさせられる”物語がそこに描かれます。そして、『怒る』という感情は『教科書とか昔の本とかですごく出て』くるものであり、『学校で習ったんで辞書の上での意味はわかる』ものの『感覚』として理解できないという大学生を見て衝撃を受ける真琴の物語では、さらに”考えさせられる”度が増すのを感じました。『むっとする』という感情がないという時代、なんだか一見幸せなようにも感じますが、”喜怒哀楽”の四つの感情の一つが消失すると考えるとそこには薄ら寒さも感じます。これら二編は、こんな未来が来るのではないか?とそこはかとない不安を感じさせる面白さがあるように思いました。
四つの短編それぞれに個性が炸裂するこの短編集。短編集というと、残念ながらどんな傑作にも出来不出来が存在するものですが、この作品はどれもが傑作、よくここまで第一級の作品を揃えたものだ!と、出し惜しみの不要な村田さんの溢れる才能を改めて感じました。
そんな“さまざまな世界との対峙”を描く物語は、あくまで淡々と、当たり前のごとく描かれていきます。そこにあるのは、この世界への没入感のみ。そう、他のどこにもない唯一無二の”村田沙耶香ワールド”がそこに広がっています。そんな物語の中で、四人の主人公たちはそれぞれの気づきを得ていきます。そして、そんな奇妙奇天烈な物語世界にも関わらず、主人公たちと一緒に、なるほどと物語の前提を理解してしまっている自分がいることにも気付きます。
”たぶん、こういう魔法が誰の中にも眠っていて、私たちはいつでも誰でも魔法少女になれるんだ、とどこかで強く信じているのだと思います”と表題作を語る村田沙耶香さん。そんな村田さんの描く物語は、振り切った感覚世界の中にそれでもそこに人のドラマがあることを感じさせてくれるものでした。強烈なシチュエーションの先に待つ納得感のある結末を見る四つの短編が収録されたこの作品。もっと、もっと…と村田さんに求める感覚が麻痺していくのも感じるこの作品。圧倒的な表現力の世界に囚われて、戻ってこれなくなるのではないかと不安にもなるこの作品。
“クレイジー沙耶香”の極みを見る圧巻の物語。これぞ”村田沙耶香ワールド”を堪能できる絶品でした。
- 感想投稿日 : 2022年12月14日
- 読了日 : 2022年8月27日
- 本棚登録日 : 2022年12月14日
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