ひとつの牌が倒されたことで隣の牌も倒れる。そして、倒された牌はさらに隣の牌を倒していく…16世紀にヨーロッパで始まったとされる”ドミノ倒し”。449万1863個の世界記録が2009年に生まれるなどその牌倒しの魅力は時代を経ても人々を熱中させる力があるようです。
『人生における偶然は、必然であるー』
世の中は、この牌のように誰かの何気ない行動が他の誰かに影響を与える、そんな繋がりで成り立っているように思います。私は恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」をきっかけに読書を始め、ブクログという場を知りました。皆さんの様々なレビューを読んで興味を抱き、自身でもレビューを書くようになりました。そして、今度はそのレビューに”いいね!”をいただき、そのレビューによって、他のどなたかがその本に興味を持たれ、読書をし、またレビューを書かれて、そしてまた…と繋がっていく、思えばこのブクログの場もそんな”ドミノ倒し”に似たものがあるように思います。また、そんな関係性は必ずしも私たちが意識しないところで起こっている場合もあります。何ら意識したわけではない自身のある行為が、回り回って人の命を救ったり、さらに回り回って未来の自分自身を助けることにも繋がっていく。一つひとつの行為を追っていけばそんなまさかの繋がりが判明する可能性だってないとは言い切れません。『彼の活躍ぶりが、ここ上海の影に蠢く特殊な世界に、あらぬ刺激を与えていることまでは、まだ気付いていないようであった』というそんなまさかの繋がり。そう、私たちが生きるということは、日々誰かによって影響を与えられ、今度は自身が誰かに影響を与えていく、そんな倒し倒されることの繰り返しによって成り立っているのだと思います。
さて、この作品は、そんなまさかの繋がりで人と人とが繋がっていく物語。人と人とが影響を与えあっていく物語。そして、登場人物たちが知る由のない繋がりを、読者だからこそ、あれよ、あれよとひとつのエンタメとして見ることができる物語です。
『見渡す限り、遮るもののない大平原』、『数百名のカーキ色の軍服を着た青年たちが、一糸乱れず整然と並んでいる』というその光景。『彼らの前に、彼らの上官と見られるいかめしい顔をした軍服姿の東洋人の男たち』など七名の人物が居並ぶその光景。そんな『七人の視線の先には、顔を覆って地面につっぷしている金髪の白人男性』の姿。『どうやら、泣いているらしい。何やら、呟く声もする』というその男。『ううっ、ダリオーかわいそうに、ダリオー許しておくれ、ううっ』と泣く男の前には『小さな十字架の墓標が』ありました。『中国政府及び上海共産党幹部を代表して、お悔やみを申し上げます』という言葉に、わなっと肩を震わせたその男。『「xxxx!」と、字幕には出せない四文字を天に向かって叫』んだその男。そんな男を見る七人の一人が呟きます。『まったく、今回はいったいどうやって持ち込んだんだ?今後ニッポンで入国許可が下りない可能性もあったんだぞ。ここをどこだと思ってる?』と怒るその人物。『あのクソ忌々しいケダモノを持ち込んだばっかりに!これで三日間のスケジュールがパアだ』と嘆きます。『「輸入」したんですよ。なにしろ四本足は机以外ぜんぶ喰うと言われてる国ですからね。「食材」として輸入扱いにしたらしいです』と答える他の男。『ふん。それで本当に調理されちまったんだから、ヤツも本望だろう』、『しっ。刺激しないでください、彼も参ってるんですから』と小声での会話は続きます。『それは、三日前の晩、日中米の三ヶ国合作であるホラーアクション映画、「霊幻城の死闘・キョンシーvs.ゾンビ」の撮影クルーの宿となった青龍飯店で起きた』という一大事。『青龍飯店の料理長である王湯元』が、『素材のチェックをしていると、ふと、視界の隅を横切るもの』を見つけました。『はて、この食材はなんだろう』と首を傾げる王。『この珍しい食材を試してみるのもよかろう』とその食材へと向かいます。それは、『映画監督であるフィリップ・クレイヴンのペットで、イグアナのダリオ』というまさかの展開。『姑息な手段で中国内に持ち込んだものの』、『いい匂いにもつられてか、王の厨房へと迷い込んだ』ダリオは、『その時、殺気を感じ』ます。『目を輝かせた男と目が合い、その手に握られた四角い包丁に自分の姿が鈍く映っているのに気付いた』ダリオ…。『夕食の宴、ダリオの姿が見えないことに気を揉んでいた』というフィリップ。そんな監督の目の前に『料理長からのスペシャリテが巨大な皿に載せられて、しずしずと運ばれてきた』という衝撃。『うっうっうっ』と泣き続けるフィリップ。そんな時、『感じる』と呟いたのは『日本の映画配給会社に務める安倍久美子』、『は?』と聞き返す『日本側プロデューサー、小角正』。『ダリオの霊が、彼の周りを飛び回っているわ』と言う久美子に『え?え?』と目を白黒させる正…という前作「ドミノ」で大活躍したダリオがまさかの昇天により”霊”となって飛び回るという衝撃の場面から新たなドミノのピースが次々に倒されていくドタバタ劇が始まりました。
空前のエンタメ・ドタバタ劇として数多くの恩田陸ファンを熱狂させた前作「ドミノ」から約20年の歳月を経て登場したこの作品。単行本で568ページという圧倒的な物量の中に、「ドミノ」の名に恥じない圧倒的なエンタメ・ドタバタ劇が展開していきます。私が「ドミノ」を読んだのは一年以上前のこと。にも関わらず、この作品を読み始めて一気に「ドミノ」を読んだ時の興奮が蘇ってきました。すっかり忘れていたと思っていた登場人物たち。しかし、この作品でそれら幾名かの名前が出てきた途端に、彼、彼女のドタバタぶりが一気に蘇ってきたのにとても驚きました。自身の中でそれだけ強いインパクトを受けた作品、それが「ドミノ」だったということに今更ながら気づきました。そんな「ドミノ」は、それまで赤の他人として関わり合いを持たなかった”27名と一匹”が、まるでドミノ倒しのように倒れて繋がっていく。Aさんのある行動の結果がBさんの行動に繋がり、そしてCさんへと影響が及んでいく、という人の行動の連鎖に焦点を当てた目の付け所の非常に鋭い作品でした。そんな「ドミノ」の続編とも言えるこの作品では、上記したように”一匹”として活躍したダリオがいきなりの昇天、”霊”となるという衝撃的な場面からスタートします。ダリオが登場するということは当然にその飼い主であるフィリップ監督も再登場します。そして、他にも「ドミノ」で”牌”の役割を果たした彼、彼女がやんややんやと複数登場します。これは一種の郷愁感を感じるとともに、「ドミノ」での活躍が今更ながらに思い起こされ、結果としてこの作品に深い奥行きが生まれるという役割を果たしています。もちろん、この作品単独で読んでも十分楽しめる作りがなされてはいますが、「ドミノ」が未読の方には、是非ともまずは「ドミノ」から読んでいただきたいと思います。この作品が登場しても、「ドミノ」の価値は全く下がらないどころか、この作品を読み終えて再読してみたくなったほどに改めてその完成度の高さを再認識しました。
「ドミノ」では『一匹』ということでイグアナのダリオが大活躍しました。この作品では、そんなダリオは”霊”という摩訶不思議な存在として、物語をぐいぐいと引っ張ってくれます。『かくて、ダリオは天上の存在になった。まさに「神」の視点を手に入れ、「神」の視点からご主人らを見守ることになった』というまさかの”霊視点”が登場するこの作品ですが、そのかっ飛んだ設定に全く違和感を感じないのみならず、極めて自然に感じる懐の深さを持っているのがこの作品の凄いところです。しかし、この作品で注目すべきは、上海を舞台にしたからこそ登場させることができた別の『一匹』にあると思います。それが、パンダの厳厳(がんがん)の存在です。色々な小説を読んできて、人間以外の生き物に視点が移るという作品も多々読んできました。多いのは猫視点だと思います。犬視点よりも描きやすいのか、猫視点で描かれた物語は多数存在しますが、この作品はそんの猫科の動物でもあるまさかのパンダに視点が移るという空前のストーリーが展開します。『俺はなんとしても故郷に帰るのだ!』、『こんな狭い檻の中で、ガキどもの見世物として一生を終えてたまるか!』と奮い立つ厳厳。『さりげなく天井を見上げ、監視カメラの場所を確かめ』、『素早く監視カメラの下の壁にぺたりと張り付』くという緊迫の逃走場面。『がっちりとした鉄の柵の向こうに自由がある』と考える厳厳視点のそのストーリーは、読者にそれが”パンダ視点”という違和感を全く抱かせない絶妙な語り口で描かれていきます。作品の表紙にも太々しく鎮座する圧倒的な存在感を示す厳厳のドタバタ逃走劇。読後、パンダを見る目が変わってしまうくらいの笑劇な展開にすっかり魅せられてしまいました。
そんなこの作品は場所を上海に移して、”25名と三匹”という面々が本人が意図しない中で影響し合って繋がっていく物語が描かれていきます。場所が上海ということで中国人ばかりだと名前が覚えられないかも?という心配がありましたが、上記の通り「ドミノ」から再登場する日本人なども多数いることもあって、登場人物で混乱することは全くありませんでした。そんな登場人物は見かけ上25名に抑えられているだけで他にも登場します。恩田さんはそんなプラスαの人物を、こんな風に登場させます。『この青年はここにしか出てこないので、申し訳ないが名前は端折る』と、完全に読者を意識した、えっ?となるこの表現。それでいて『真面目で優しい、祖父母を敬う今どき珍しい好青年…』と、端折ったにも関わらずその登場人物の説明を入れていく恩田さんは、その人物が祖母の容態悪化を理由に帰宅したことの決着を『夜遅くに彼の祖母の容態は持ち直し、みんなで安堵の涙を流すのである』と何故かさらに説明を入れていきます。しかし、『それは本件とは関係ないのでこちらも端折らせていただく』とまたもや唐突に締める恩田さん。登場人物が増えすぎない工夫をこんな風に書くその大胆さ。空前のエンタメ・ドタバタ劇を完全に手中に収められた恩田さんならではの余裕を感じさせる、読者の存在を強く意識した細かい演出表現の数々。そんな工夫も相まって、”25名と三匹”それぞれの性格付けが見事になされているこの作品。”25名と三匹”を縦横無尽に走らせる恩田さんの筆の力をまざまざと見せつけられた圧巻の作品だと思いました。
『外出できないのなら、せめて脳内旅行を、本書で楽しんでいただければ幸いです』と語る恩田さん。『広げた風呂敷をちゃんと畳むことができるだろうかと』執筆中不安になられたというこの作品では、山のように張られた伏線が最後に綺麗に回収される見事なまでの大団円を見せていただきました。
ダリオの霊が宙を舞い、厳厳が上海の街を駆け回り、そして25人の人間がてんやわんやに走り回る、そんな空前絶後の大活劇が見事なまでに描かれたこの作品。特に後半数十ページに描かれる密度の高い作品世界にすっかり魅了されたこの作品。空前のエンタメ・ドタバタ劇に、時の経つのをすっかり忘れて一気に読み切ってしまった傑作でした。
- 感想投稿日 : 2021年4月10日
- 読了日 : 2021年1月5日
- 本棚登録日 : 2021年4月10日
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