僕と彼女の左手 (中公文庫 つ 32-1)

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  • 中央公論新社 (2021年3月24日発売)
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感想 : 20
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あなたは、ピアノが『左手』だけでも弾けるということをご存知でしょうか?

88もの鍵盤で構成されたピアノ。音域がとても広く、オーケストラが奏でるすべての音域よりも幅広い音を出せるというその楽器は音楽を愛する方にはなくてはならないものです。このレビューをお読みくださっている方の中にも幼い頃に習ったことがある方、今も趣味で弾いていらっしゃる方、そして弾くことはできないけどもピアノ曲をこよなく愛する方など、ピアノに特別な思いを抱かれている方は多いと思います。私はピアノを弾くことはできませんが、クラシック音楽をこよなく愛する人間であり、その中でもピアノ曲は欠かせないものです。そんな中で、ずっとある一つの作品のことが気になってきました。

・モーリス・ラヴェル作曲「左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調」

『第一次世界大戦で右手を失ったパウル・ヴィトゲンシュタインというオーストリアのピアニスト』の依頼により、『左手専用の曲』として生まれたこの作品はラヴェルのもう一つの「ピアノ協奏曲 ト長調」と共に、今もってよく演奏される作品です。しかし、今まで『左手』だけで弾くということ自体、意識したことはありませんし、ましてや、この作品以外にも『左手』で弾くためのピアノ作品があるということ自体全く考えたこともありませんでした。

そんな私が読書&レビューの日々の中で辻堂ゆめさんという作家さんと出会い、最初の読書ターンで読む三冊を選ぶ中で一冊の本の表紙に目が止まりました。グランドピアノに『左手』だけを添える女性が描かれたその作品。「僕と彼女の左手」というなんとも意味深い書名にも心惹かれたその作品。

『私、この左手は、神様が私のために残してくれたものだと思うんです』。

それはそんな言葉の先にピアノへのほとばしる情熱を傾けるひとりの女性に心惹かれていく一方で、人生の選択の苦悩の中に立ちすくむ一人の医学部五年生が前に進むためのきっかけを見出す瞬間を見る”ミステリー”な物語です。

『あっ、と手を伸ばしたときには、もう遅かった』と『強い風に煽られ』て飛んでいったノートの切れ端を目で追うのは主人公の時田習(ときた しゅう)。そんな習は、『吹き飛ばされた紙の回収を諦め』、しばらくして『そろそろ行くか』と『すぐ目の前の金網にそっと手をかけて、キャンパスを見渡』します。そして、『九階建ての医学部棟』の屋上で『すう、と大きく息を吸って、斜め上の空を仰ぎ見』た時、『あの、すみません。ちょっといいですか』と後ろで声がして振り向くと『セミロングの黒髪』の少女の姿がありました。『教育学部の建物を探して』いるという少女は、『大学を受けよう』と一人でキャンパス見学に来て迷ってしまったと話します。『せっかく現役の学生の方と会えた』ので、もう少し話を聞きたい、『教育学部棟のところ』まで送って欲しいという希望を成り行き上断れず歩き出した二人。習が名乗ると少女は清家さやこ(せいけ さやこ)と名乗りました。そんな さやこは図書館の横を通りかかった時、『図書館で、勉強を教えてもらえませんか』と突然言い出しました。またしても断れずに図書館に入った二人ですが、さやこは本を持ってくると言ったまま『二十分近く』いなくなります。そして、『片腕に大量の本を抱えたさやこ』が戻ってきましたがバランスを崩し本を落としてしまいます。『片手だと重くない?右手も使えばいいのに』と言う習に『私の右手、動かないんです。生まれつき』と返す さやこ。右の『手首の先がだらりと垂れてい』るのを目にした習は、彼女が『右脚を引きずるようにして歩いてい』ることにも気付きます。『医学生の性』からか幾つかの病名を思い浮かべる習に『脳性小児麻痺 ー って言うらしいです』と語る さやか。『脚はちょっと歩きにくいだけ』だけど、『腕のほうは全廃なんです』と続ける さやか。そして、勉強をまた教えて欲しいという希望を断れずに翌日も大学で待ち合わせした二人。そんな時ピアノの音が聞こえ、『音楽系の部活の共有スペース』へと入った二人の目の前にグランドピアノが鎮座していました。そんなピアノに近づいた さやこは椅子に腰かけると『目の前にある黒い鍵を、親指でぽんと叩』きます。そして、習の耳に『音が、波のようだ』と感じる音楽が流れ始めました。『僕は今、ものすごいものを見ているんじゃないか』と思う習の前で、左手だけで音楽を奏で続ける さやこ。習と さやこの運命の出会いの先に、そんな二人の出会いに隠されたまさかの真実が明らかになる”ミステリー”な”恋愛物語”が描かれていきます。

“「今度は音楽を題材にした恋愛小説を書きたい!」という思いで構想を始めたのがこの作品です”と語る辻堂ゆめさん。そんな辻堂さんが選ばれた楽器は表紙のイラストが暗示する通り、ピアノを奏でるヒロインが登場する物語です。しかし、辻堂さんはその物語の核に”心に辛いものだったり、重いものだったりを抱えている男女がそれを乗り越え”ていく物語を描いたと続けられます。そんなこの作品は”音楽を題材にした”という辻堂さんのこだわりを構成の上にも見ることができます。物語は七つのパートから構成されていますが、以下のようにまるでコンサートの演目のようなサブタイトルがつけられているのが特徴です。そんな各章のタイトルとひとこと概要を簡単に記してみたいと思います。

・〈プレリュード ~前奏曲~〉
→ 『お父さん』と呼びかける『僕自身の声』から始まる緊迫した、また謎めいた短章。読後必ず読み返したくなります!

・〈第一曲 出会い〉
→ 習とさやこの運命の出会いが描かれる物語

・〈第二曲 僕の左手〉
→ 習に隠された苦悩の正体を巡る物語

・〈インターリュード ~間奏曲~〉
→ 習、フラッシュバック

・ 〈第三曲 光と影〉
→ 習に転機が到来する物語

・ 〈第四曲 彼女の左手〉
→ さやこに隠された過去の物語

・ 〈ポストリュード ~後奏曲~〉
→ さらなる真実が明らかになる終章

物語は大枠、このような構成の中に展開しますが、サブタイトルに、そして書名にも登場する『左手』が一つのキーワードとなっていきます。それは、主人公・習の前に突然に現れた さやこが『脳性小児麻痺 ー って言うらしいです』と自ら語る先天性の病により右手が動かず、左手だけでピアノを鮮やかに弾く姿を見せることから始まります。辻堂さんがこの作品で目指された”音楽を題材にした小説”、そして選ばれたピアノということでは小説界には名作が多々存在します。”ピアニストと調律師は、きっと同じ森を歩いている。森の中の、別々の道を”と、ピアノ調律師の世界に光を当てる宮下奈津さん「羊と鋼の森」、繊細で儚い音色の中に”美しく調和した世界”を紡ぎ出すピアノの原型ともされるチェンバロを象徴的に描く小川洋子さん「やさしい訴え」、そして、文字の上から音楽が流れ出すという、さてさての読書&レビューの原点ともなった恩田陸さん「蜜蜂と遠雷」などピアノという楽器に潜在する、一台でオーケストラに匹敵する音楽を奏でられるともされるこの楽器の魅力を余すことなく文字に落とし込んだ名作の数々。特に恩田さんの文字の上からピアノの音が流れ出す圧巻の描写の前には、なかなかこれを超える描写というもののハードルの高さを感じもします。そんな難易度の高い世界で辻堂さんが描くのが『左手』だけで奏でられる音楽の世界でした。その描写は見事です。幾つか鮮やかなシーンが存在しますがその中から一ヶ所をご紹介しましょう。

『音楽に詳しくない僕でも、当然のように知っているメロディ』という『カノン』。『それが、一つの手から紡ぎ出され、徐々に音を増やしてい』き、『音が厚くなり、互いに調和して広がっていく』という『さやこの紡ぐ音色が辺りに浸透していく』その場面。『だんだん高いところへと駆け上がっていった』と思うと『上へ行ってはすぐに低音を支えに戻り、またすぐ昇っていったと思いきや、落ち着いた音へと帰る』『さやこの親指』。そして、『曲全体が盛り上がっていくにつれ、左手が跳躍する幅がどんどん開いてい』く中に『さやこの五本の指は、それぞれバラバラに、時には同時に、めまぐるしいほど役割を変えて鍵盤の上を左右に動き回っていた』という光景を目にして『音が、波のようだ』と『安心して身体を委ねたくなる』思いに囚われる習。そんな習は、『僕は今、ものすごいものを見ているんじゃないか』と感じます。『左手』だけで奏でられているにも関わらず、そこから紡ぎ出される音の波に心囚われる習の感覚が読者にもストレートに伝わってくる絶品の表現だと思いました。

そんな”音楽を題材にした”この物語は他に二つの魅力を併せ持っています。その一つが”恋愛物語”です。主人公の習は医学部の五年になり実習の現場に出た際に『血が、見られないんだ』という現実を自覚します。『写真とか、映像』であれば何の問題もないものの『手術や緊急搬送で現実に見る血っていうのが、どうしても耐えられな』いという習。それは、幼い頃に巻き込まれた列車事故に起因するものでした。『たくさんの人が命を落とす現場を見たから、そういうときに怪我人を助けられる職業に就きたかった』という起点の一方で『結果的に、その事故が原因で医者になる道を断たれたんだから、見立てが甘かった』と、自身の人生の選択とこれからに苦悩する習。一方で、『私の右手、動かないんです。生まれつき』という中で、ピアノの世界に生きがいを求める さやこ。そんな さやこを、医師を目指す者だからわかる『脳性麻痺で生まれつき右腕が動かないのなら、これから先、治る可能性は無に近い』とわかってしまう習の苦悩。一方でそんな習が『もう、医者になることは、諦めようと思ってるんだ』と悩んでいることを気にかける さやこ。辻堂さんが描く”心に辛いものだったり、重いものだったりを、抱えている男女がそれを乗り越え”ていく物語の中に、それぞれが魅かれあっていく”恋愛物語”がじんわりと描かれていきます。この奥ゆかしい”恋愛物語”はこの作品の一つの魅力です。これから読まれる方には、辻堂さんならではの登場人物二人の繊細な、心の機微を感じさせる”恋愛物語”の展開にも是非ご期待ください。

そしてもう一つが辻堂さんと言えば代名詞とも言える”ミステリー”な物語です。とはいえこの作品では代表作の一つでもある「片想い探偵 追掛日菜子」のようないかにもな”ミステリー”が展開するわけではありません。あくまで見え方として、”音楽を題材にした”物語の上に習とさやこの”恋愛物語”が展開するこの作品は、一見、人によっては”そういうの、興味ないです”とおっしゃる方も出そうな体裁です。しかし、この作品に隠された本質は間違いなく”ミステリー”です。作品の冒頭を飾る〈プレリュード 〜前奏曲〜〉の一読するだけでは何だか分からない緊迫感のある物語、そこには、この作品に隠された”ミステリー”の提示がなされています。恐らく初見の読者の誰一人、この冒頭を読んで意味を理解できる人はいないと思います。全くイメージできない、しかし、異常に緊迫した雰囲気が伝わってくるこの冒頭。そして、読者は読み進めれば読み進めるほどに冒頭に描かれた物語の意味を少しづつ意識し始め、読了後、必ず冒頭を読み返し、ゾクゾクしながらこの物語の奥深さを知ることになります。これぞ、”ミステリー”というその物語、是非読後の冒頭読み返しも楽しみにお読みいただければと思います。

“主人公とヒロインがそれぞれの「壁」を乗り越えていく過程と、二人の関係性。それから、私の本業であるミステリー部分。どちらも楽しんでいただけたら嬉しいです”とおっしゃる辻堂さんが描くこの作品。それは、そんな二人の再生の物語でもありました。

『神様は、私の右手を使えないようにしたんじゃなくて、左手だけでも使えるようにしてくれたんだ』。

そんな思いの先にピアノへの情熱を傾けていく さやこ。そんな さやこのことを想う中で、

『生まれつきのハンデを背負っているこの子がこんなに一生懸命ピアノをやっているのに、僕は』。

苦悩の中に動けなくなってしまっている自分自身のことを思う主人公の習。そんな二人の”恋愛物語”の背景には、辻堂さんの見事なピアノの表現が散りばめられていました。しかし、そんな物語を読み終えた読者を圧倒するまさかの”ミステリー”な物語。数々の伏線が見事に回収され、〈ポストリュード ~後奏曲~〉では、さらなるどんでん返しも待ち受ける見事な構成に読み応えをとても感じるこの作品。読了後、必ず読み返したくなる冒頭含め、さまざまな感情を刺激される読書の醍醐味を楽しませていただいた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 辻堂ゆめさん
感想投稿日 : 2022年8月15日
読了日 : 2022年5月18日
本棚登録日 : 2022年8月15日

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