Presents (双葉文庫)

  • 双葉社 (2008年11月11日発売)
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あなたは生まれて初めてもらったプレゼントが何だったかを覚えていますか?

それは、あなたのご両親が『ああでもない、こうでもない』と散々に思い悩み、あなたにいちばんふさわしいと思って与えてくれたものです。それは、あなたがあなたであることの証です。それは、あなたが一生を共にするものです。そう、それはあなたの『名前』です。そんな『名前』をあなたが気に入っているかどうかはわかりません。『もし私が春海という名前だったら、何かもっと違う日々を送っていたような気がする』、というように、一生を共にする『名前』だからこそ、もしそれが違ったものだったとしたら、今までの人生には違う景色が見えていたかもしれません。些細な歯車の組み合わせが変わってしまって、今のあなたの人生は存在しなかったかもしれません。でも、それでもあなたにいちばんふさわしいのは、やはり今のあなたの『名前』なんだと思います。そう、この作品は、〈名前〉から始まって、最後の〈涙〉まで、一生のうちに誰かからプレゼントしてもらうたくさんの贈りものの中から12の贈りものに焦点を当て、その贈りものを感じてゆく角田光代さんの短編集です。

『いちばん心に残っている贈りものはなんですか?』と聞かれて、とっさに答えられなかったという角田さん。『贈りものってなんだろう。私が覚えているのは、品物であり、同時に品物ではない』と思い至ります。『それをくれた人、くれた人との関係。どちらかといえば、そちらをより濃く覚えています』というように、『贈りもの』というのは必ずしもその対象物そのものを指すとは言い切れません。この短編集には、そのことをより強く考えてしまう物語が詰まっています。ここでは、その中から二つ取り上げたいと思います。

まず、一つ目、〈名前〉。『なまえのゆらい、というタイトルで作文を書く宿題があった』という冒頭。『家に帰って、私は母に自分の名前の由来を訊いた』、それに対して『あなたがうまれたのは春だったから、春子なのだと、じつにそっけなく母は答え』ます。『それまであんまり好きじゃなかった自分の名前が、ますますきらいになった』という春子。『春だから春子。なんにも考えていないことがばればれの、頭の悪そうな名前』と自分の名前が余計に嫌いになります。そして『春子という名前は捨ててしまおうと、そのとき決心した』春子。『こっそり、ノートの裏に新しい名前を書いてみた。春菜。春海。春香。春枝。うっとりした』という春子。『今日から私は春海になります』と友達に宣言する春子。『しかし私は春子だった。春子のまま大人になった。地味で、シンプルで、退屈な大人になった』と成人します。そして『結婚したのは三十一歳のときだ』という春子は、『私に負けず劣らず平凡な名前で、ノリオという』夫と結婚し『釣り合いがとれているような気がした』という春子は、『まったく私たちの暮らしは、大いなる平凡、大いなる退屈で成り立っている』という生活を送ります。そんな夫婦に『結婚して一年目に赤ん坊ができた』と生活が大きく変化する機会が到来。そして『私と夫は子どもの名前についてあれこれ考えをめぐらせる』という春子。自分の名前が嫌いだった春子は自らの子どもの名前にどういう結論を出すのでしょうか…。人が生まれて初めてもらう贈りものが『名前』だという考え方。思わず自分の名前の由来を思い浮かべ、親に不満を言ったことを思い出しました。自分の肉体以外で唯一一生を共にすることになるもの、それが『名前』。生まれて初めて受け取ったその大切な贈りものについて、とても味のある納得のいく結末の描かれ方に冒頭からすっかりこの短編集の世界の虜になってしまいました。

二つ目。〈鍋セット〉。『第一志望だった大学に合格した』という主人公は、母親と東京に新居を探しにやってきます。想定した予算では驚くほど狭く、しょぼくれた部屋しかないことに二人は驚きますが、『私鉄沿線の駅から徒歩八分』のアパートに住むことを決めます。引っ越し蕎麦を食べに行こうと出かけた二人。その帰りに『あっ、いやだ、おかあさん、忘れてた』と言う母親は『鍋』を買わないと、と雑貨屋に入り『鍋は大、中、小と三つ』を買い、『私』に持たせます。『鍋なんかいいよ』と言う『私』に『よくないわよ、鍋がなきゃなんにもできないじゃないの』、という母親。そんな『私』でしたが、やがて『この鍋で私は料理を覚えた』、とこの鍋を母親から贈ってもらったことがきっかけで、その先の人生がどんどん開けていきます。『だいじょうぶ、なんてことない、明日にはどんなことも今日よりよくなっているはずだ』という前向きな考え方。そういった気持ちになるには何らかのきっかけを求めたくなるものです。そのきっかけを『鍋から上がる湯気は、くつくつというちいさな音は、そんなふうに言っているように、私には思えた』と
鍋から上がる湯気が背中を押してくれる日々を送る『私』。そんな私は『あのとき、母にいったい何をもらったんだろう?』と、かつて鍋を贈ってもらったあの時のことを振り返ります。使いすぎてボロボロになった鍋を今も大切に使い続ける『私』があの日、あの時、母親からもらったもの。それは単にそのものだけではなく、そのものを贈ることにした母親の深い思いも含めた贈りものだったことに気づく『私』。人生の長い時間を経て、とても奥行きを感じさせるあたたかい短編でした。

『生まれてから死ぬまでに、私たちは、いったいどのくらいのものを人からもらうんだろう』と語る角田さん。この作品では〈名前〉からはじまり、最後の〈涙〉まで色々な贈りものを受け取りながら人は人生を歩んでいく、まさにその姿が描かれていました。そんな贈りものには、単なる品物だけでなく〈名前〉、〈涙〉のように、この作品を読んで初めて意識することになった贈りものもありました。『品物は、いつかなくしてしまっても、贈られた記憶、その人と持った関係性は、けっして失うことがない』と角田さんがおっしゃるとおり、品物は年月が経てば壊れたり、失くしたりと目の前から失われてしまうこともあります。でも、その贈りものにより繋がった何かは、決して失われることなく、その人が生きていく上で一生の宝物にもなりえます。

『私たちは膨大なプレゼントを受け取りながら成長し、老いていく』という私たちの人生。一見全く繋がりのない12の短編がまるで人が生まれてから亡くなるまでを描いた一編の大河小説を読んだかのような読後感に包まれるこの作品。各短編に絶妙なタイミングでアクセントをつける松尾たいこさんのイラストが登場するこの作品。角田さんと松尾さんから文字と絵のとても素晴らしい贈りものをいただいたこの作品。自分自身が受け取ってきたものを思い起こすと同時に、自身も素敵な贈りものを送ってあげられる人でありたい、そんなことも考えさせてくれた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 角田光代さん
感想投稿日 : 2020年7月5日
読了日 : 2020年7月4日
本棚登録日 : 2020年7月5日

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