この映画をどうしても観たかったのには理由が有る、この映画の元になったミュンヘンオリンピックのイスラエル選手団虐殺事件をうっすらと覚えているからだ。
正確に言えばその事件を報じたNEWSを記憶している、「本日夜、ミュンヘンのオリンピック村よりテロリストにより拉致されたイスラエル選手団は全員殺害されました。」
多分そんな内容だったと思う「ミュンヘン」「オリンピック村」「イスラエル選手団」「全員殺害」その4つの単語だけははっきりと覚えている。
無表情な声で読み上げられる凶報と不鮮明な映像が幼心に不安感を与え意味も分からず怖かった、この事件で覚えているのは偶然観たそのNEWSの一回限りだ。
この映画はパレスチナゲリラ「ブラック・セプテンバー(黒い9月)」によって引き起こされたイスラエル選手団殺害事件とその報復として行われたイスラエルによパレスチナ要人の暗殺計画「神の怒り」作戦を題材にしている。
私はこういうテーマの映画では暴力を美化せずに描くべきだと思うが、その辺は非常にきっちりと双方のテロによる殺害のグロテスクな様子、主人公達が最初は任務に戸惑いながら徐々に報復の名の元に無関係な人間迄手にかける非情さを身に付けていく様子があざとい程リアルに描き込まれている。
しかしこの映画はドキュメンタリーではない、大旨原案となった「標的は11人」に沿って描かれるが、敢えて描いていないのではないかと思わせる部分も多いのだ。
その辺が「あくまでもユダヤ人の視点」という批判がでる一因ではないかと思うが、スピルバーグは事件のあらましでは無く現代の寓話として事件を描きたかったのでは無いかと思う。
この映画は「家」を守ろうとする男達の物語だ、アブナーもフランス人の情報屋「パパ」もパレスチナ人達もそれぞれの家を守る為に戦っている、しかしその家が巨大な「国家」である時、人はその名の下ににどこまで非情になれるのか、そして互いの「報復の連鎖」が生み出す虚しさ。
全体は3部に分かれた構成だが暗殺の現場がめまぐるしく変わり、復讐の原点となる「ミュンヘン事件」そのものも主人公の回想シーンの中にフラッシュバックのように断片的に挿入されるので、この事件の予備知識が無く見る人には少々不親切な脚本だと思う。
俳優陣では穏やかな青年から冷徹なテロリストへそして再び個人としての人間性を取り戻して行くアブナーを演じるエリック・バナの表情豊かな演技、アブナー達に屈折した感情を見せながら協力するフランス人情報屋ルイのマチュー・アマルリックが良かった。
映画を観て何らかのカタルシスを期待する人はこの映画を観ると肩透かしを食らったように感じるのではないか、何と言うか見る人に宿題を出しているような感じなのだ。
この映画をこれから観る人はラストにカメラが映し出すものは何かに注目して欲しい。
多分それがスピルバーグがこの映画を撮った理由だと思うから。
- 感想投稿日 : 2011年11月17日
- 読了日 : 2011年11月17日
- 本棚登録日 : 2011年11月17日
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