海馬を求めて潜水を――作家と神経心理学者姉妹の記憶をめぐる冒険

  • みすず書房 (2021年6月23日発売)
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記憶をめぐる小説としては『失われた時を求めて』のプルーストが有名だが、記憶の特性を理解するのに、研究者による数値を用いた精緻な科学的分析よりも、実は作家による自身の感覚から掴んだ描写の方が、脳の作用を的確に表現していることがある。
しかも記憶と物語は深く関わり合っていて、小説家が真実と作り話を組み合わせて物語を創作するように、私たちの記憶も回想と事実をごちゃまぜにする。
記憶とは正確な思い出がいっぱい詰まった鍵付きの箱などではなく、いわば創造的なスポンジで、なんでも吸い込んで、新しいものを生み出しているのだ。

この印象的なタイトルにあるように、中心にあるのは海馬だ。
記憶がどのように蓄えられ、想起されるのか - 脳内のタツノオトシゴ(海馬)に、記憶を理解するための鍵がある。
記憶とは静止したものでも信頼できるものでもない。
また、山のように動かざるものでもない。
常に詳細な事柄を加えて生まれ変わっていく。
曖昧で移ろいやすく、時に物事をひっくり返す。
海藻の間でゆらゆらと踊っているタツノオトシゴのように。

MRIで明らかになったのは、私たちが何かを想像している時の脳の活動は、実際に体験している時のものとほぼ変わらない。
想像も記憶も、虚偽記憶でさえ、実際に観察すると、脳内では同じような動きを見せている。

まるで願望によって創られているように、本当の記憶とは想像の一形態で、想像による再構築だ。
生きた有機体のごとく、心象風景を取り入れ、新しい構成要素が入ってくると元々あった記憶の映像と縫い合わせてしまう。
自分の想像力のせいで、縫い目もなくひとつになるため、真実と作り話の境界は常に曖昧だ。
しかもそれを無意識に、何も考えずにやっている。

ドキュメンタリー映像のような正確性を求めても無駄。私たちの記憶は司法制度のためにできていない。
記憶は、将来起こりうる危険を予測し、それに向けて備えるために進化したのであって、事件の目撃者として間違いのない証言をするようにはできていない。
思い出す度に、筋書きは必ず再構成され、隙間はもっともらしい事柄で埋められる。

しかし過去を思い浮かべ、未来予想図を描くことができるという、人間だけが持つ能力は、一種の記憶の副産物だ。
「未来は暗黒の”時の深淵”の向こう側にあるのではなく、川の中に配置された飛び石のようなもので、常に私たちの目の前にある。私たちはその一つ一つに足をのせることで先へ進む」

ノルウェーの姉妹による作品であるためか、同国のウトヤ島で起きた2011年のテロ事件の被害者が抱えるトラウマは、かなり詳細で生々しい。
トラウマはありとあらゆる手段で記憶と結びつき、被害者の感情を強く揺さぶり続ける。
予告もなく飛び出すびっくり箱のように、記憶は元のままの残酷さを保ちながら、何度も何度も飛び出してきて、決して箱を閉めることができない。
考えずにいろというのは困難で、それは「象のことは考えるな」と言うようなもの。
いない振りをしたところで、象は地面を踏みならし、辺りのものをひっくり返す。
トラウマの犠牲者はまるで象使いになったように、ずっとそばに象がいつづけるため、考えずにはいられない。
そしてある日自分が象になってしまう。
トラウマと同化して、自らの一部になってしまうのだ。

親が我が子に幼児期の様子を話すと、それが子どもの記憶として定着する話が興味深い。
ただし親の話し方が重要で、それが子どもの記憶の維持には関係してくる。
「子どもに覚えておいてほしいことがあれば、そのことをお子さんに話してください。そして、お子さんの体験のポジティブな面に重きを置いてください」
そうやって親は、すてきな幼児期の思い出を子どもに贈ることができる。
「幸せな子ども時代を送るのに遅すぎることはない」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年11月28日
読了日 : 2021年11月28日
本棚登録日 : 2021年11月28日

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