招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠

著者 :
  • みすず書房 (2023年3月14日発売)
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感想 : 14
5

評判通りの傑作。
各紙年末恒例の”今年(2023年)の1冊”でも、多くの書評家から選出されること間違いないだろう。

それでも読んでる最中は、どこに着地するのかよくわからなかった。
養老孟司氏が本書の書評を書くのに難儀したと記してるように、最初は有害生物防除に携わった研究者を中心に、世界害虫・天敵攻防史が時代順に描かれるんだろうと思っていた。
しかし年代は前後し、巻き戻されることもしばしば。
思想的背景や理論が詳述されるのはよくわかるのだが、途中で日米友好の象徴の桜を焼却させた担当官の日本滞在記が、結構がっつり描かれていたりする。
面白いので全然OKだし、後から詳述の理由がわかるのだが、読むほどに複雑にもつれていく感じだった。

最後に"意図せざる結果"で、それまでのまとめにかかって、これで終わりかなと思っていると、次の章では小笠原での防除の攻防が微に入り細に入り描かれる。
すべて読み終わってみると、この最終章は壮大な"あとがき"で、本書の執筆の目的が記されているんだなと合点がいったが、読んでる間は”なに?なに?”と戸惑いを覚えた。

なんでこんな複雑な構成になっているのか、著者の執筆動機からしたら「してやったり」なのだろう。
繰り返し語られる歴史の重要性とともに、読者は頭に入れるべき問題点を共有して、知らず知らず著者らの防除チームのしんがりに組み入れられたような錯覚を覚える。

ただ、著者の考える今後の方向性には素直に同意できない部分もある。
そういう意味で、すべてを読み終え感じるのは、本書自体がもう一つの「意図せざる結果」になっているのではないかということ。
失敗の歴史を丁寧に検証することが大事と語り、導入リスクのない天敵導入はありえないし、化学的防除も同様。
リスクの大きさ、効果を天秤にかけても、責任を引き受ける勇気が持てるのか?
天敵の導入が引き起こした失敗の連鎖を読んでると怖じ気づきはしないか。
通算すれば成功率は30%程度。
有害生物を駆除するためにオーストラリアに持ち込まれたはずのオオヒキガエルは、自らが有害生物となって駆除対象になっている。
導入した天敵を防除するために、さらに天敵を導入する羽目に。
ヒキガエル導入は、生態系に不可逆的で、取り返しのつかない影響を与えた。
寄生生物の天敵も、宿主特異性が高いからその対象しか影響を受けないというが、新たに導入した方は天敵のいない楽園に放たれるのだから、増殖して問題を本当に起こさないかの懸念がつきまとう。

メリットとデメリットを比較考量してというが、材料となる知見は常に"現時点では"という留保がつく。
ベダリアテントウはイセリアカイガラムシしか捕食しない夢の天敵だと考えられていたが、実際には他も捕食してることが後からわかっている。
ネオニコチノイド系殺虫剤は、かつて安全な農薬だと信じられていた。

それに何が価値を持つかは時代とともに変わる。
天敵とした導入した外来生物も、うまくいこうが失敗しようが、絶滅してくれたらありがたいと考えが倫理的に許されるのか。
鉄砲玉のように連れてきて、命を無慈悲に散らさせるのは、OKか?

病害虫対策は、現場に則した適切な理論を構築して、生物的防除も化学的防除も含め、総合的におこなうべきというのが本書の主張だが、これも理想論で時間がかかる。
生物的防除は成功率がよくて30%程度で、失敗すれば新たな危険を呼び込むし、化学的防除は利けば有効だが、耐性が進んだり、環境に深刻なダメージも。
この他に第三の道、バイオ的防除もあるが、不妊化や遺伝子操作もコストの面から採用されていない。

意思決定に関わるのは専門家だけではない。
住民からの苦情が続けば、とにかく早く何かをしてみせる必要が行政に生まれるだろう。

「自然を利用した技術がつねに、人工のものより良いとは限らない。有害か有益かは、時と場合によって異なる。成功が技術の多様性を奪い、害を及ぼすリスクを高める」

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

幸運の成功、必然の失敗を肝に銘じるべき。
アフリカマイマイの自然減を、ヤマヒタチオビの効果と思いこんだのもそうだが、本書では繰り返し、天敵の有効性が錯覚だった事例が紹介される。
この天敵は有害だと口を酸っぱく訴えても、たまたま有害生物が減ったのを証拠に危険生物がさらに野に放たれる。

いま、ナガエツルノゲイトウが問題になっている。
ため池などの水面を覆い尽くす、地球上最悪の侵略的植物だ。
南米由来の特定外来生物で、琵琶湖でも爆発的に勢力を広げ、滋賀県は9年で21億円投じても解決していない。
市販の農薬は効かないし、刈り取りすれば散らばりさらに広がる始末。
いまは黒いシートで覆って、光合成を防ぎ枯れさせる手法がとられているが、死滅するまでには時間もかかるし、金もかかる。
生物的防除として、天敵を導入する方法も検討されているのだろうが、アルゼンチンアリなど、外来生物の脅威は身近な問題でもある。

人間と自然、外来と在来の二項対立はもう古い。
外来生物を目の敵にする思考は足下を掬われる。
日本の里山に広く生育し、伝統的な景観や文化に欠かせぬ価値をもつ植物の多くは、江戸時代以前に移入した外来生物であるし、日本の誇る果樹もほとんどは外来種だ。
離島の固有種を除けば、攻撃し駆除する対象も外来生物なら、その天敵も外来生物で、もっと言えば守る方の防除の対象となる野菜や果樹も元はと言えば外国から持ち込まれたものだ。
やっかいものの外来生物を駆除するのではなく、有効利用し、宝に変える試みもある。
食用など資源化する発想だ。

最終章で、小笠原・父島のウズムシの勢力拡大を食い止めるため、著者らは次々と防衛線を設置していくのだが、自然なのはどちらだろうかと疑問に感じた。
最初は人為的に導入された外来種も、島内で爆発的に繁殖する過程に人為的介入はないだろう。
ゆくゆく島内の固有種が絶滅しても、入れ替わって繁殖した外来種が、時間を経れば、その島内でしか見つけられないような特異的な固有種にいずれ変わっていくのではないか。
そもそも現在の固有種も、そのようにして入った外来種だったろう。
不用意に持ち込まないなど基本は必要だが、防除は初期段階で留めるべきではないか。

皮肉なのは、本書でも明らかになったように「自然のバランス」など存在しないということなのだが、天敵を使った有害生物の防除が試みられたのは、「自然のバランス」が信じられていたからこそだったということ。
害虫の原産地には必ずそれを抑えている天敵がいて、個体数の均衡が保たれているのだと信じられていた。
なぜ害虫の大発生が起きるのか、それは天敵が不在で、「自然のバランス」が失われているからだ。
それなら天敵を入れて、自然の力でバランスを取り戻せばよい、と。
最終的には、生物的防除を成功に導くような法則や理論はなかったことが明らかになる。

外来生物導入には、「自然のバランス」とは異なる目的もあった。
産業革命で人口が急増したイギリスで、差し迫った食糧危機の懸念を払拭しようとした。
食用になる動物たちを順化・定着させることによって、英国の食卓に素晴らしい多様性を生み出そうとしたのだ。
都市化と人口問題、農業の衰退、急速に拡大する都市への食糧供給を真剣に懸念した。
つまり人類のためだったのだ。
順化協会の理念が世界中に広まったことで、この後にあちこちで外来生物が問題になる。
最初は、食糧問題を解決するために導入し定着させる事業が、有害生物を増やす結果となった。

ここで紹介されるフランク・バックランドはずいぶん風変わりだ。
4歳で化石を鑑定し、たくさんの動物を飼い、かつ食べ、寄宿舎ではネコやウサギを解剖し、残骸をベッドの下に隠す。
悪臭で周りから苦情が出るが、友人からは人気者。
こんな人いま出てきたら訴えられ捕まるだろう。
彼は、世界的に外来生物が激増し、侵入種により生態系が改変される流れのキッカケをつくった人物でもある。
動物愛護運動の先駆者でもあったが、同時に虐待とも受け取られないかねない行動も。
ペットのサルが逃げたら、ショットガンをぶっ放して身動きを封じてつかまえる。
そしてそのサルが死んだら皮を剥いで、テーブルクロスにしちゃう。
現代では理解しがたい考えも、キリスト教的価値観からは納得できる。
つまり、創造主から世界の支配者としての地位を与えられた人間は、下々の動物たちにも慈悲をかけるべきだという考えだ。
世界中の生物を移動させ、それぞれの土地の動植物の構成を望むように変えるのは、多様性を高めるし、食卓を豊かにする。
創造主の意思にもかなった善行と考えられた。
人間中心主義の自然観で、価値ある自然とそうでないものを厳然と峻別した。
こんな考えは間違っていると、現代の価値観から安易に即断することは果たして有益か?

天敵を求めて世界中を旅する昆虫専門官には、2タイプがある。
ケーベレのように見つけたら導入して、うまく行くまで繰り返すタイプ。
「あれこれ考えるより、まず行動」で、在来の固有種への配慮もなければ、適切な事後評価もない場当たり的な天敵導入。

「ケーベレのやり方は、駆除効果が出るものに行き当たるまで新しい天敵を導入し続けるという、一種の力業」

反対にトライオンらのように、天敵としての適性や、非標的種への影響を評価するテストをした後に導入する慎重派もいた。
駆除だけでなく、有効利用している事例も幅広く収集している。
誰が見たって正しいのは、後者のトライオンらの慎重派に見えるが、果たしてそう断じれるか?
ケース・バイ・ケースではないか。
時間的に猶予がなく、被害が甚大で待ったなしの状態で、すべての精査を十分に行なうことは可能だろうか。
果樹業者や農家、周辺住民からのプレッシャーも凄まじい。
どうせ成功率は30%で、リスクのない生物的防除の導入なんてないんだと割り切れば、早々に決断を下してもあながち責められないような気もするし、現実はそちらの方が実際に多いのではないか。

生物的防除を夢の解決策だと信じたい気持ちもよくわかる。

「薬剤駆除や物理的な排除の場合は、雑草を駆除した後で、その再侵入を許せば、また同じ駆除対策をとらねばならない。しかしこの天敵が定着し機能すれば、永続的に効果が発揮されるので、その後の対策は不要になる」

しかもその効果が、凄まじい破壊力で、文字通り有害生物が粉砕され、群生地ごと消滅するか激減すれば、夢の天敵だと持ち上げたくもなるだろう。
しかし現実は、ほとんどの場合で制御効果が一時的で、かつ限定的なものに終わっている。

最後にカーソンの『沈黙の春』の功罪が語られる。
化学農薬への依存度を下げようという彼女の訴えは誤解され、農薬すべてが悪者で、その後に化学的防除を選択しにくくさせたという指摘。
そして「自然のバランス」を過度に強調し過ぎたため、生物的防除が偏重されるキッカケになったという側面も。
特に、伝統的生物的防除は「自然にやさしい」のスローガンのもと、数々の生態系を脅威に晒した罪深い手法だった。
「自然のバランス」と化学農薬という二項対立は現在も受け継がれ、自然を善とし、人工を悪とする価値観が私たちの社会においても強化されてきた。

「"かけがえのない自然を守らなければならない"という、カーソンの『沈黙の春』を通した訴えは、生態系と生物多様性を損ねてはならないという価値観を社会に導いたが、皮肉にもカーソンが勧めた伝統的生物的防除がそれを破壊するという、深刻な問題を浮かび上がらせることになった」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年11月29日
読了日 : 2023年11月27日
本棚登録日 : 2023年11月29日

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