ソートン・ワイルダー戯曲集 1

  • 新樹社 (1995年11月1日発売)
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感想 : 2
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噂から、ベケットやイヨネスコのような不条理劇(the theater of the absurd)の先駆で、プロットやアイデンティティーがない「状態の戯曲」なのかと思ってたがいい意味で期待を裏切ってくれた。不条理劇に劣らない衝撃だった。もっとも、両者とも、自然主義リアリズムに基づく近代演劇とは完全に一線を画する点では異なるところがない。
個人的には、人生の刻一刻の価値を呼びかける考え方にも無論自戒の念を覚えたが、むしろそこにつなげるためのワイルダーの演劇理論と実際の演劇上の実験に共感し、また驚愕した。まず、実験としては、裸舞台、進行係の登場によるプロットの断絶、プロセニアムアーチの持つ役割の喪失を図る多くの技法、パントマイム、といったものが挙げられる。
この結果、観客は芝居を見ている現在と、劇中の時間と、無窮ともいえる時間を行き来させられ、観客は時間に関する意識を覚醒する。また、劇場全体、劇中の「わが町」、雄大な宇宙とを重ね合わせ、観客は自己の場についても自覚的たらざるをえない。それがために、前者について、時間というものそれ自体が止まるような瞬間が観客に訪れ、そこに「現在」が(いうなれば「永遠の現在」が)現前する。後者については、観客一人一人の脳内で、それぞれの舞台を生み出すことにつながる。俳優の行為を、一つの記号、象徴としての機能のみに限定していることと相俟って、観客の想像という共同作業的な行動が引き起こされるのである。したがって、『わが町』の芝居は、物語の再現では決してなく、「今、舞台上で起こっていること」でしかありえない。
彼自身、「我々の主張も希望も絶望も、全ては心の中にあるもので、小道具や舞台装置の中にあるわけではない。劇のクライマックスに必要なのは、わずか5平方フィートの空間と人生の意味を知ろうとする情熱だけだ」といっている。ここに彼の演劇理論の全てを収斂させてもよいだろう。そしてこの理論をもって上記のような様々な試みをなしたのだと思う。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2008年8月9日
本棚登録日 : 2008年8月9日

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