お母さんみたいな母親にはなりたくないのに

著者 :
  • 河出書房新社 (2018年8月24日発売)
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感想 : 13
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借りたもの。
子育てする母親の感情の変化が描かれている。時間軸としては同著者『キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』( https://booklog.jp/item/1/4801907652 )にも被るところだろうか。

“目やには捨てる”“子供は捨てない”の二者択一が意味不明だった。
授かるまでは女性の月のもの、排泄器官に近い場所なので、そこから出てきたものは“捨てる”ことが多かったのに、そうではない“存在”が生まれてきたことが衝撃的なのかも知れない。

そこから始まる育児。
自分が受けた生育環境のコンプレックスの反動と、ジェンダー問題がごちゃ混ぜになっている気がした。
もっとも、ジェンダーは家庭→社会→家庭…といった地続きでループしているものかもしれない。
同著者『男しか行けない場所に女が行ってきました』( https://booklog.jp/item/1/4781612792 )に通じる。

愛しさで、自分の感情と子供の問題を分けることか難しくなる感情の高ぶりが、気持ち悪いくらい生々しく表現されている。

この本は一貫性なく大分ブレている気がする。
この中で一貫性を持たせるキーワードが「A面」「B面」という、社会への建前と本人の気持ちを大切にする、表裏を行き来する必要性だ。

その中で毒親の母(以下、毒母)が、社会(というより、毒母主体の限られた世界)にしか目を向けず、自身の優位性(子供の価値観を無いものとして)を確かめるために接していたことを浮き彫りにする。

毒母もそうだが、読んでいるとその母(祖母)や姉(叔母)にも問題がある。
著者が想起する毒母は、そんな彼女らの共感を得るために著者をマウンティングの対象にしている。
他の本でもその凄まじさが見受けられたが、この本の表紙に「もういいじゃない 仲良くしましょ」とある通り、悪びれた様子がない。

連綿と受け継がれる、負の愛着スタイルではないだろうか?
※愛着スタイルについていは岡田 尊司、原わたほか『話を聞きたがらない夫 悩みを聞いてほしい妻 精神科医が教えるコミュニケーションのコツ』( https://booklog.jp/item/1/4040693841 )等参照。

“こいつ(毒母)じゃなくて 「お母さん」にだっこされたい”

文鳥を育てたとき、子供が 社会と接するようになった時に感じる焦りや不安の根本に、毒母の面影がある。

“結局 また お前かよ”

育成環境が個人に影響を与えることを強く感じた。

自分を癒しながら、子供の主体性を否定せず(B面)、社会と関わる子育てをしていこうとする著者の決意でしめくくられる。

しかし「A面」「B面」よりも、『キレる私をやめたい』で明記していた、“子どもの「今の気持ち」に寄り添う”ことの方が大切ではないだろうか?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2019年5月30日
読了日 : 2019年5月30日
本棚登録日 : 2019年5月19日

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