自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

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本棚登録 : 207
レビュー : 33
著者 :
a1b2さん 死・自殺・夭折   読み終わった 

080904購入。080905読了。
「平常心で死を受け入れることは可能か?」という問いから始まった著者のライフワークともいうべきこの作品。そして、この本は、著者の「自死」という試みにより相互に補完され、著者が嫌っているであろう観念的な「死」を語る作品に終始することを避けている。ちょうど三島の「葉隠入門」を少し前に読んだところだったので、内容的にはすんなりと受け入れられた。この本を読んでつくづく感じたのは、結局「死」とは主観的なものだということである。病室で家族に看取られながら自然死するということは、周りからみれば安らかな最期だったと納得できるが、ヌーランド以下須原氏も述べている通り、自然死はそんなにあまいものじゃないそうなので本人にとっては望ましい死に方ではない可能性が高い。一方氏のような人工死は、周りにとっては不可解であるが、覚悟を決めた(氏の提唱した「死の能動的五段階」を経た)人にとってはこのうえなく恵まれた死に方である。残されたものの悲しみを思えという反論もあるだろうが、まずこの本が画期的なのは「平常心からの自死が不可解である」、「自死というものはすべて否定すべきものである」という観念を覆そうとしているところである。正直、この本を手にしたとき、あほらしいと思った。それは彼が自殺をしたからである。もともと自殺に関する本を読んでいて、三島以外の自殺はすべてくだらないものだと結論付けていたときであった。(三島の死は本作で「老衰」を避け主体的に死ぬことと語られているが、未だ僕は三島に興味を惹かれて止まない、なぜだろう)この本はどちらかというと医療倫理学の本だ。彼は死に価値をもっていない。過剰に死に意味づけしてるのは意外にも周りの人々だと思った。人工的な世界で生きながら死にだけ自然をもとめる。彼は自分の意思で、仕事をし、ご飯をたべ、遊び、そして今までの人生どおり、自分の意思で死んだだけである。「尊厳死」というとすでに世に知られている感があるが、今回の場合、病人でもない普通の人が、能動的に死を選んだというところに、新しい道を見ることができる。この本によって人々がどう感じるかわからないが、なにやらこれからの社会の方向性を決める本になりえる可能性を秘めた本である。

レビュー投稿日
2008年9月4日
読了日
-
本棚登録日
2008年9月4日
1
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