伊藤計画は虐殺器官や今作のハーモニーを通じて、人間が生得的に備え付けられてると考えられてきた感情あるいは意識と言ったものの自明性に疑問符を投げかけている気がする。
本作で一番印象的だったのは主人公の感情や意識についての思索。
「社会的動物である人間にとって、感情や意識という機能を必要とする環境がいつの時点でかとっくに過ぎ去っていたら。我々が糖尿病を治療するように感情や意識を治療して脳の機能から消し去ってしまうことに何の躊躇があろうか。」
合理性を極めたところには感情や意識はノイズでしかない。合理化、効率化の極致として感情の放棄がある。でも、その先にある究極に理性的な存在としての人間が一切の感情を持たずに生活する社会はあまりにも恐ろしい。まさに真綿で首を絞められるかのような緩慢な死が人類全体を包んでいる世界。
意識や自由意志と一般に呼ばれているものは脳の中で複数の価値判断がせめぎ合う中で都度都度、弾き出された暫定的な回答に過ぎない。死への欲望に価値の重みづけをしてあげれば人は自然と自死を選ぶことになる。それがミァハが世界にかけた仕掛け。
1984の二分間憎悪とかすばらしい新世界のユートピアとか至る所にディストピア小説の古典とも言うべき作品群へのオマージュが隠されているところも読んでいて楽しい。
誰かにとってのユートピアは誰かにとってのディストピア。虐殺器官とハーモニーを続け様に読んでそのことがよくわかった。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2021年2月3日
- 読了日 : 2021年2月3日
- 本棚登録日 : 2021年2月3日
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