僕はマゼランと旅した

  • 白水社 (2006年2月28日発売)
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5

シカゴの下町を舞台にした連作短編小説。一つ一つをばらばらに読めば、タッチも登場人物も異なる独立した短編小説として読める。事実、すぐに読み終えてしまうのが惜しくて、上物のウィスキーを飲る時のように、毎夜毎夜ちびりちびりと愉しんで読んだ。

一つの短篇が終わるたびに時間も場所も異なる世界が立ち現れる。しかし、世界中の小説が各国を舞台にしていても地球からは離れられないように、ダイベックの小説はシカゴの下町から離れられない。この短編小説集は、ウンコ河と呼ばれる衛生運河に沿ったビールのゲップの臭いが漂うしょぼい町で生まれ育った少年のクロニクルでもある。

僕の名前はペリー、作家志望だ。弟はミック、役者を目指している。サー、というのは父さんのことだが、通りをのろのろ走りながら、吸盤で車の屋根に取り付けた手作りの荷物台の上に町で見つけたがらくたを拾い集めるのが趣味だった。ポーランド系移民の子孫ペリー・カツェクの目を通して少年の日々を回想した「歌」、「ドリームヴィルからライブで」それに「引き波」。乾いたユーモアとペーソスの入り混じった筆致が鼻腔をくすぐる感じがする。

「そういった人々を観察しながら僕は育った。浮浪者、バッグレディ、浜辺で漂流物を漁るように夏の裏道を漁る物乞い、衛生運河で釣りをしている老いた黒人の流れ者」。学生時代の静かな一日。窓から眺める町の風景に誘われるように、昔つきあっていた恋人を回想する「ロヨラアームズの昼食」。親から離れ、都会でひとり暮らしをする青年の慎ましくて、それでいてとびっきり豪奢な孤独感が伝わってくる。

僕の周りには一癖も二癖もある人物が集まってくる。母の弟で精神を病んだレフティ叔父さん。叔父さんの仲間で戦争で片腕を失ったジップは、バーをやっている。そこに毎日通ってくるルチャ(メキシコ流プロレス)のレスラーだったテオ、ジップからミカジメ料をせしめようと脅しに現れるジョー。これらの男たちが、それぞれの思いを胸に秘めながら静かな火花を散らす「胸」は、集中一番の傑作である。

詩人らしくリズミカルに畳みかけるように繰り出される陰影を帯びたフレーズ。古い映画やスタンダード・ジャズの名曲の引用。それに気の利いた警句や会話。よくできたアメリカ小説の持つ独特のフレーバーがある。アーウィン・ショーの都会を描いた小説が好きで、常盤心平訳するところの短篇を漁ったものだが、スチュワート・ダイベックには今が旬の翻訳家、柴田元幸がいた。

訳者あとがきで訳者は作者の持ち味についてこう記す。「叙情とユーモアの絶妙な共存、感傷に惰さない郷愁、社会の底辺に位置する人たちへの優しいが安易なロマン化を慎む共感、ポルカやロックンロールが行間から聞こえてくるような音楽性」。「読み進めていくうちに世界の細部はどんどん豊かにふくらんでいき、いろいろな人々、さまざまな時間、種々の記憶や夢が交差し、時には重なり合あい時には打ち消しあう。むろん一度読んだだけでもその見事さは十分伝わるとは思うが、できることならぜひ二度は読んでいただきたい」と。名うての訳者にこうまで言わせる傑作短編集である。一度手にとってみても損はしない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: アメリカ文学
感想投稿日 : 2013年3月8日
読了日 : 2006年5月4日
本棚登録日 : 2013年3月8日

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