風都市伝説 1970年代の街とロックの記憶から (CDジャーナルムック)

制作 : 北中正和 
  • シーディージャーナル (2004年4月9日発売)
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極私的70年代回想

1970年代には、特別な思い入れがある。大学受験に失敗して、京都で浪人生活をはじめた。はじめてのひとり暮らしだったから、何もかもが新鮮だった。いつも街を歩き回っては、何か面白いものがないかと探していた。京都会館で開かれた岡林信康のコンサートに出かけ、高田渡を聴いたのもこの頃だった。あの頃、もう岡林はロックをやりかけていたから、もしかしたらその時のバックもはっぴいえんどだったのかも知れない。

中津川の糀の湖畔で開かれたフォークジャンボリーにもギターをぶら下げて汽車に揺られていったものだ。その時の記録映画が『だからここに来た』というドキュメンタリー映画になって残っている。後にTVでも放映されたが、最前列に米軍放出のジャケットを着てレイバン風のサングラスをかけた自分が映っている。岡林と口をきいたのはこの時だった。ちょうど海の向こうでウッドストックが開かれ、映画を見たばかりだったから、東京から来ていたヒッピー風の連中と一緒に行動していた。学生風の連中とは距離を置いていたようだ。はっぴいえんどはこの時、バックだけでなく自分たちの曲も演奏していたが、東京から来ていた連中は、岡林よりはっぴいえんどの方を注目していたことに驚かされた。

その後、高田渡のコンサートの楽屋に出入りして、ミシシッピ・ジョン・ハート風のピッキングを直接教えてもらったり、加川良に「そのジーンズ、どこで買ったの」なんて訊いたりしていた。山下洋輔が、京大西部講堂で演奏した日もそこにいた。はっぴいえんどはすっかりメインのグループとして頭に入っていたが、本にも書かれている通り、その頃のPAでは、彼らの音をイメージ通り聴衆に聴かせることははなから無理な話だった。この演奏会も、風都市が企画したものだったらしい。高田渡は、友人のシバ君と一緒に「武蔵野たんぽぽ団」をやっていた頃で、ギターのハードケースを紐で肩から提げて登場したのだが、いかにも高田渡らしくて、からかったような記憶がある。吉田日出子が岡林と結婚したばかりの頃で、いっしょにコンサートについてきてたけど、ミュージシャン仲間にはあまり知った人がいないのか、さみしそうにしていたのを覚えている。小坂忠とフォージョーハーフ(四畳半のシャレ)は、近所の女子大の学園祭で聴いた。松任谷正隆や後藤次利は、まだ無名の頃だったが、他のグループと比べ、格段にかっこよかった。

その頃、はっぴいえんども影響を受けたバファロー・スプリング・フィールドやCSN&Yに憧れて、質屋で買ってきたSONYの古いオープンリール型のテープレコーダーで、FM放送を録音しては、何度も繰り返して、ギターソロをコピーした。ニール・ヤングの「Tell me why」が、大のお気に入りだった。ピート・シーガーの真似をして、中古のバンジョーも買ったが、これはギターのようなわけにはいかなかった。

いろいろなところに出かけては、いろんな連中と会ったりしていたのに、ひとつ所に入り浸るということができなかった。バンドをやっていた時も意見が分かれて解散すると、行動を共にする者も出てくるのだが、こちらに相手を引き留めようという気がないのを知ると、一人去り二人去り、結局気がついたらいつも一人で行動していた。街には不思議な熱気があふれ、誰とでも連帯できそうな熱い時代だったのに、そうした性格が災いしたのか、時代の波に乗り損ねていた。

風都市とは、はっぴいえんどやはちみつぱいのコンサートやレコード制作に関わった企画者集団のことだ。この本は、その短いながらもそれまで日本になかった音楽活動の先駆者としての記録である。この本に登場する人たちのように、東京にいて、渋谷百軒店に入り浸っていたらどうなっていただろうか。おそらく、どうにもなりはしなかっただろうが、そんな想像をしてみたくなるような同時代の記憶にあふれたたまらなく懐かしい一冊だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 70年代
感想投稿日 : 2013年3月10日
読了日 : 2004年6月27日
本棚登録日 : 2013年3月10日

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