
65歳で自ら死を選ぶことを哲学的に考察して実行した人《赤松正雄の読書録ブログ》
この本を取り上げるのは少々悩んだ。2年ほど前に出版されると共に読んだが、ここで紹介するには憚られた。自殺のすすめであるかのごとくに誤解されかねないからだ。須原一秀『自死という生き方』である。本来は『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』といった須原氏の遺書を、評論家の浅羽通明氏が家族と共に、本人の死後に公にしたものだ。
「私の人生は65歳までである」と30歳代から周辺に明言していた著者は、そのとおりに自身の哲学的事業として自ら命を断った。06年の四月に、ある県の神社の裏山での縊死。頚動脈は自ら刃物で斬り裂いてあったという。この人の考え方の背景には、自然死は苦痛であるとの認識がある。一般的には天寿を全うすることが人生の理想とされているのに、この人はそれを否定し、むしろ長生きして自分が自分でなくなる状況の中で苦しい死を待つよりも、むしろ元気で身体も精神も最高の状態の中で死を自ら選ぶことが尊い生き方だというのだ。
かねて私は、自分で死を選ぶ人は、いかなる理屈をつけるにせよ死の直前には精神に異常をきたしているものとの思い込みがあった。しかし、この本を読んでからそうではなく、やがて誰にもくる死の時を自分が元気の絶頂にあるときに選ぶのが望ましいと考える人が極めて少数ながらいるということが分かった。三島由紀夫、ソクラテス、伊丹十三の三人の自死を例にとりながら謎解きをしていく須原さんの筆さばきは絶妙だ。
私の親友で65歳になったら死にたいと言っていた男がいるが、彼もこれを読み大いに共感したという。ただし、先日会ったら、少しその実行を先延ばししたような言い回しをしていた。
- レビュー投稿日
- 2010年11月26日
- 読了日
- 2010年11月26日
- 本棚登録日
- 2010年11月27日
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