私にとって芥川とは「学校で読まされて」「感想文書かされる」ものだった。「教科書に載るような人」なので強く正しいのに違いないと。
それがこの「河童」ではどうだ。生まれてきたくはないと言い、言葉によって病んで死んでしまうほど繊細でか弱いではないか。河童の世界にいても自らの世界へ戻っても結局居所は無く、河童の世界へ「帰りたい」と思う。そこまで病んでいる精神を、芥川はなぜ描いたのか。
それは彼もまた病んでいたからであり生きることに絶望していたからかもしれない。
子供の頃思っていたよりも「河童」は読みやすかった。芥川を「お堅い」「教科書」と思い込んでいたからかも。すっごいオジサンのように思っていた彼も、実は35歳で亡くなっていたのだから現代ならまだ「青年」の範疇かも。若かったんだよね。(今じゃ、肉体的にも50歳でもまだまだ「若い」もんね。マイケルにしろ郷ひろみにしろ、50とは思えない)
その昔(笑)上高地の河童橋は何度か訪れた。元山岳部の親に毎年連れて行かれたのだ。元山岳部のミニ同窓会ともなっていたその登山会は、お互いみな子持ちの(子供の年齢も近くて)主婦であるためか例年お盆すぎだった。お盆も過ぎた夏山は雨も多く結局山に登れやしないのだが梓川の水の冷たさだけは覚えている。いかにも河童がいそうな川だ。
…子供としては苦労して山なんか登るよりも、自然博物館(というほどのものでもなかったが)に行ったり一年ぶりにあう友達と宿でトランプしたりしていた方が楽しかったりした。懐かしい。
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カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2009年7月24日
- 本棚登録日 : 2009年7月24日
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