- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041018293
作品紹介・あらすじ
1852年、マシュー・カルブレイス・ペリーは日本開国の任務のため東インド艦隊司令官に就任した。日本へと遠征したペリーを待ち受けていたのは、開国を迫る世界各国と幕府高官たちだった……。
感想・レビュー・書評
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ヨーロッパの歴史を題材にした小説を発表している、佐藤賢一。
久しぶりにこの作家さんの作品を読んで、「やっぱり面白いなあ」と感じ入ってしまいました。
『ハンニバル戦記』
https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/4122066786
「文庫化されている他の作品も読もう」と探したところ、幕末の歴史に登場するペリーを題材にした小説があることを知りました。
佐藤賢一がなぜ、この人を題材に取り上げたのか興味を持ち、読んでみることにしました。
1851年、ペリーが57歳の時点から、物語は始まります。
メキシコとの戦争などで大きな功績をあげて、海軍の軍人としては最高の階級である大佐まで昇り詰めたペリー。
50歳を過ぎ、閑職と呼ばれるポストに就いています。
しかし、海軍への熱い思いが残る彼は、国の上層部に進言をします。
それは、日本に船団を送り、国交を樹立すること。
自分が言ったことではあるものの、年齢的に自分が行くとは考えていなかった彼に、思いがけず、司令官就任の打診が来ます。
悩みながらもそれを受けたペリー。
遠く離れた日本との交渉に向けて、航海の準備をする彼は・・・という展開。
アメリカ国内でどのような調整と準備をし、日本との交渉に臨んだのか。
日本では「黒船来襲」と、”外圧”の象徴のように語られる日本開国。
その経緯が、アメリカ側のペリーの視点で、詳細に描写されています。
日本としては、迷惑、脅威でしかなかった、欧米列強による開国の要求。
当時の覇権国家であるイギリスと、新興国・アメリカとの競争。
奴隷制度の是非が議論されていた、南北戦争目前のアメリカ国内の状況。
親兄弟もアメリカ海軍、自らも海軍軍人として世界各地での勤務経験があった、ペリーの経験と人間性。
黒船に乗って日本に乗り込んできたペリーの側にも、さまざまな事情があったのですね。
そして本作品で強調されているのが、中国(清)や琉球との交渉も経験したペリーが感じる、日本という国の特殊性。
アメリカの言うなりに条約を結ばされた、という印象があったのですが、アメリカ側から見ても、当初の目論見から外れる部分のある交渉だったのだと教えてもらいました。
日本がなぜ、アジアで最も早く近代化を果たしたのか。
その理由を提示することも、この小説を書いた目的の一つだったのかな、と受け取りました。
『ハンニバル戦記』と同じ作家が書いたとは思えない、題材と文体の違い。
解説を読んで、佐藤賢一が日本史を題材にした小説を複数、発表していることを知りました。
引き出しの多い、作家さんなのですね。
今後も文庫化されている作品を探して、読んでいきたいと思います。
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幕末の最重要人物であるペリーが自分本位でマッチョなアメリカ軍人としてユーモラスに描かれている。見せ場らしい見せ場がないのが、物足りないところ。
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最近、稚拙な文章ばかりを読んでいたので。独特な癖はあるけれど、ひさしぶりに小説らしい文章を読んだ。■幕末にあまり興味がないのもあって、知らなかったことがたくさんあった。何も考えず、太平洋を渡ってきたものと思ってた…。■ただ、物語としての盛り上がりには欠ける。終始、居丈高なペリーの鼻っ柱を折ってくれることを期待していたものの、遂にそれは折られず、どうしてこの題材を選んだのか。正直言うと、あまり面白くない。
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ペリー、米国からみた黒船事件と日本開国
日本の作家が相手国側の視線で自国の歴史を振り返るという、ちょっと不可思議な本
兄の残した言葉「ドント・ギブアップ・サ・シップ」に象徴されるあきらめない精神を受け継ぎ、周到な準備と臨機応変により困難を乗り越え、日本への来航と開国を実現させるあたり、ペリーもやはり偉人と思えるが、
ペリーの兄への劣等感と日本を開国させたという実績への誇り、しかしそれを全く評価しない米国民への苛立ちという、揺れる気持ちにその人となりが見える -
横浜開港をアメリカの視点からみる歴史小説。大洋を蒸気船や帆船で駆け抜ける壮大な遠征の苦労は想像にかたくない。電話もメールもない時代に、言葉の通じない未知の国に挑む勇気は素晴らしいと思う。小説としては、やや盛り上がりにかけるかな。
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"デュマ"シリーズ然り、その他の長編小説でもそうだが、私たちも名前とその業績ぐらいは知っている史実上の人物たちに、喜怒哀楽を持ち合わせた等身大の人間としての魂を吹き込み、生き生きと作中で動き回らせる、という技術において、佐藤賢一氏の力量は本当に素晴らしい。
もちろんその立ち居振る舞いには、脚色や創作が多く加えられていると分かっていても、ペリーってこんな人だったんだ、とノンフィクションかのように信じ込まされてしまいそう。
ただ、氏の著作では時々見られるんだけど、物語の仕舞い方が些か呆気なく、読後の余韻に欠ける嫌いがこの作品では顕著に出てしまっていると思う。
全体を俯瞰で眺めてみても、後半に進むにつれてスケール感のようなものが失われていくのが感じられる。