9.11の直後に書かれた本。あれから15年、ビンラディンは殺され、 ISILが暴れまわり、状況は変化したが、本書のテーマの重要性は変わっていない。ぼくらはイスラム過激派がアメリカを筆頭とする西欧諸国を敵視する理由をよく知らないし、はっきり言えばどうでもよいと思っている。
テロリストの理屈を理解しようとすることは、それ自体テロリストの思う壺だ、という感情論は理解できる。それはテロを非難しつつも、有志連合の空爆に異議を唱える文化人の発言が炎上したりすることからも伺える。テロリストの味方をするのか! というわけだ。
が、その一方で、著者が言うように、「テロリスト」は立場が変われば「自由の戦士」かもしれない。伊藤博文を暗殺した安重根は日本側から見ればテロリストだが、韓国では違うらしい。
極端な話、海のこっち側で生まれたかあっち側で生まれたかで変わるような理屈を「正義」と称するのはうさんくさい。それは「正義」に対する「悪」ではなくて、「われわれ」に対するただの「敵」ではないのか。
それで何が変わるわけでもない。「テロリスト」と戦うか、「敵」と戦うかだけの違いである。
ただぼくは、「正義」という言葉は別の機会にとっておいて欲しいと思うのだ。たとえば、学校に行こうとしているだけの少女を殺そうとした連中を非難するときなどに。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
歴史・ドキュメンタリー
- 感想投稿日 : 2015年12月12日
- 読了日 : 2015年12月10日
- 本棚登録日 : 2015年12月10日
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