漂う色は濃淡のにじんだ藍色の小説。
美しい言葉が好きな人なのだな。
わたしもそういう文章、とても好き。
一途なことは幸か不幸か。
こんな風に苦しんでいる一途な人は多くいると思う。
それでも一作り手として、神谷さんの言葉は人目を気にして制作をしたり制作をしなかったりするわたしを優しく傷付ける。
濃淡のにじんだ藍色の小説は、わたしは大好きだ。
2015年7月26日
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ポニーテール (新潮文庫)
- 重松清
- 新潮社 / 2014年6月27日発売
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読みあたりの良い文章と、無駄がなくそれでいて鮮明に景色の見える描写。
特に心情を描かずにそれが切ないほどに伝わってくるところは胸がいっぱいになる。
家族っていい。
いいんだけどとても脆い線を束ねて繋がっている感じがする。
細い線はいつでも一本切れたり二本に増えたりを繰り返して、その度に家族のお話が増える。
最後にどどっと安心させてくれて、ちょっぴりの不思議もあって、とても優しい一冊。
2015年6月24日
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アルジャーノンに花束を
- ダニエル・キイス
- 早川書房 / 1989年4月1日発売
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何年ぶりに読んだろう。
これを初めて読んだのは少なくとも15年以上は前の事。
奇跡を、チャーリーの理論の欠陥あるいは宇宙との神秘な繋がりを、望む。
あるいはもしかすると…読み手だけでなくチャーリーの周りの人間もそう思う。
奇跡が起こることをハッピーエンドとして無意識に据えてしまうことをダニエル・キイスは見抜き、しっているからおだやかであることは幸いか否かと問うかのように経過報告は結ばれる。
誰がそれを決められよう。
わたしの判断などチャーリーには必要ない。
彼は彼として存在しているのだから。
彼の存在はまた他の存在も肯定する。
知識の楔はエスカレーターを降りずとも外せるのだろうか。
漱石の「門」「行人」で悲痛なまでに描かれた、知ってしまった故に戻れない苦しみの先はあるのだろうか。
先人達が言葉を変えて残してきたものを拾い集めながら、わたしは生きることを続ける。
2015年4月15日
「城」「変身」は灰色の小説という印象だった。
この「審判」は灰がかった青。
続けてカフカを読んだが、読めば読むほど村上春樹でどんどんいけすかない。
彼の作品ではどの人物にも、もちろん主人公にも、全く感情移入ができない。
みな軽薄で己しか可愛くない、思いやりはどこにもない。
突拍子も無い描写では彼らを愛するのは不可能。
審判は特にそうだった。
カフカは組織のシステムに何か深い憎しみがあるのだろうか。
特に役所絡みの。
理不尽、を描くにはあまりに長すぎる。
そしてあまりに不足しすぎている。
カフカの美意識、求めるもの、わたしはそれらに全く共感できない。
恐らくもう彼の小説を読むことはないだろう。
2014年10月12日
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ドリトル先生の郵便局 (ドリトル先生物語全集 3)
- ロフティング
- 岩波書店 / 1962年1月1日発売
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先生の向上心、探究心、好奇心、そして全てへの優しさはまさにセンス・オブ・ワンダー。
この無邪気で聡明な紳士は理想の男性像です。
でもダブダブくらいの世話焼きでないと、奥さんはつとまらないだろうな。
先生が整えた郵便制度を利用して、各地の動物向けに定期購読の読み物を発行するのだけど
これって今のメルマガそのもの。
ロフティングは1928年にこれを書いている。
合理的で実に先進的。
随所の動物との会話から、ロフティングの生物学への愛を感じる。
2014年10月3日
「そこ」を拾って文章にするのか。
わたしはあなたの文章を読むまで「そこ」の存在にすら気付かなかったけれど、確かに確かにある。
どんな繊細さと、すべてを見つめる目を持っていたらこんな風に書けるのだろう。
かくあるべき、から離れた事柄をなかったことにしてしまっているのかもしれない。
ありのままを見つめるためには全てに目を向けなければならない。
苦しかろう、辛かろう、そして楽しかろう。
吐き出されたそれらは、わたしを解放する。
2014年9月22日
久しぶりに読んだら、あれー前はもっとスカッとした気がしたんやがなもし。
ぼこぼこにされても赤シャツは邪魔者の誰もいなくなった環境でなんの気負いもなくマドンナと一緒になってぬくぬく教頭でいるだろう。
社会的制裁を求める時点でわたしも赤シャツ側の人間なのか?
漱石前期作品は、面白かろう?にやにや。という感じが拭えなくてそこもまたいい。
それでいて後期作品にまで通じる彼の美意識は一貫している。
今回、赤シャツのモデルが漱石だと知ってから初めて読んだがホホホ、彼の描写が楽しそうなわけだな。
2014年8月31日
自分の不遇を前々世からの短編で慰めるとは、愉快なお人だ。
愚痴を言うよりずっといい。
とんとんとんっといい調子でミニマムな文章が美しい。
2014年8月30日
初夢というタイトルで読み始めたのに、最後はまんまと「夢落ちかよ!」とどんでん返された。
テンポよくくるくると会話が進む。
脚がよくなって上方へ日帰りで行けるくらいに元気になったらよかったよねぇ。
会いたい人にみんな会って、富士山まで登った夢なんてのは、こいつぁ春から縁起がいいやってなもんだ。
景気のいい展開に気分がよくなる。
真っ逆さまでハッと目覚めるのはいつの時代も誰にもあることなんやね。
2014年8月30日
聞き伝えでこうもリアルに書けるものかしら。
途中途中の心理考察は漱石本人のものだろうことは難くない。
人生において取り立てて拾い上げなかった心の姿を、文章として前に出されると健気で愛しい。
それらに目を向ける漱石を改めて尊敬する。
さて、彼の小説は大きな抑揚を以って書かれることは少ない。
読後感としてのそれはあるが、大抵は淡々とひょうひょうと進められる。
坑夫においては、読みながらにここが山だな!と感じた。
坑道の梯子を昇るところから地上へそして空へ身も心も一気に突き抜ける。
文章は芸術たり得るなぁと、やはり漱石を好きになる。
2014年8月27日
将校は旧司令官の時代がとっくに終わっていることを知っていた。
先進国の考えも熟知していたし、何より賛同者が新たに一人も現れないという事実もよく理解していた。
にも関わらず、彼は旧司令官がいた日々の充足と手応えとそれらから築いた信念を手放すことが出来なかった。
同国の新体制がどんな正論を掲げようとも、それは将校の敵にしかならなかった。
外国人の判断を潔く受け入れた将校は、終わりを探していたのだろうか。
いや彼は本当に旧体制の再建に尽力しそれを望んでいた。
外国人の目は純粋な第三者の視点となり、彼は味方がもう現れないことを悟った。
自らの信じる機械に自らの最期をゆだねる迷いのなさは、切腹に通じる美を見たように感じられた。
見事な散り方でそれまでの判決と処刑をぼやけさせてしまうのは、ずるい。
ずるいのだけれども、将校は信念の一生だったのだなぁと、その通った筋に感服せずにおられない。
2014年8月22日
一家を愛し一家に愛された長男が、ある朝目覚めると虫になっていたら…。
小説のどこを取っても絵画的だった。
救いようのない内容がそうさせるのかもしれない。
家族の薄情さにがっかりするが、果たしてこれは長男が人でなくなったためだろうか。
虫ではなく、社会的弱者になったのだとしたら?
その場合も同じシナリオになりそうなところがますます恐ろしい。
そうなった時の本人の楽観ともいえる冷静さ、家族の嫌悪という第一印象、そこからの愛すべき家族であると耐える様、我慢の限界、当人が必要とされていないことをしかと受け入れる、
そして彼がいなくなり平穏が新たに始まらんとする。
この短編は、差別の写実だ。
それを虫に置き換えたカフカが変人なのは言うまでもない!
2014年8月22日
濃い灰色の小説。
忙しくシステマチックで非効率的なお役所仕事の一方通行に抗う難しさ。
それは役所のみならず、そのシステムを疑わずに受け入れている人々に抗う難しさでもある。
システムから外れると物珍しがられ、強要され、葬られる。
未完の小説ということだが、思いもよらずシステムの別の内側から目に止まったその後はどうなったろうか。
あるはずのない書類の存在に困り果てた従僕がその書類をなかったことにしたまま、事態はこれまで通り進展しないのだろうか。
あるいは万に一つの出来事に遭遇した役人がその後もKの幸運な味方になるのだろうか。
人々はKを含めて思いやりがなく不幸を感じている者ばかりだ。
イレギュラーに遭遇した役人のみ、なんと輝いていたことだろう。
嘘の順調な循環に人々は気付かぬうちに疲弊している。
濃い灰色の小説。
読後感はそれに尽きる。
2014年8月9日
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本当はちがうんだ日記
- 穂村弘
- 集英社 / 2005年6月24日発売
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彼は拾う天才だなー
わたしはなんて多くのものを取りこぼしながら生きているんだろう。
ねぇねぇ見て。って。無邪気にやる人よりも、無邪気に見えることを知っててやる人の方がわたし好きなんだよなー。
姑息なことを上手に、でも手の内を明かしながらやるのって、大人の無邪気だとは思いませんか。
「この世」の大穴、が凄すぎて思わずタイトルをボールペンで囲ってしまった。
心の豊かさは、すぽんと収まってしまった行き着く先なのか。
疑いもしなかった。でも、収まらなかった人から目が離せないのはわたしもそうだ。
大穴でぬくぬくしながらそこから外れた人を興味深く見ていた。
いつも観察者でいたい己は 、美しくはないな、と思った。
2014年6月27日
漱石の「三四郎」でしきりに、イブセンイブセン、と西洋の現代思想の代名詞として使われていたイプセンヘンリック。
自分探しといったところだろうか。
個の確立。その渇望。
ノラがあんなにアホに描かれていたのはそのためだったんですね。
個が立ちすぎたとも言える先輩クリスチナの、夫妻に偽りではなく本当の関係になるべきだと与えた打撃は恐らくクリスチナ当人が考えていたよりも問題を浮き彫りにした。
気付いたノラは、実際八年の結婚生活、いや生まれてからあの夜に至るまで実際か無意識か苦しみ続けていたのだろうな。
わたしが、もう出家するしかないだろうか、とひどく思い詰める時と似ていることなんだと思う。
2014年6月17日
賢治は映画より鮮明。
景色も空気も、なんという描写。
達二が見たのは全部夢だったろうか。
こどもの見る夢は、現との境がとても曖昧だ。
その感じを描ける人は他にいない。
こどもの心と、人生で得た聡明さを併せ持つ著者ゆえの作品だ。
2014年6月5日
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電通「鬼十則」 (PHP文庫)
- 植田正也
- PHP研究所 / 2006年9月2日発売
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仕事をする上で核とするべき十則。
反発する人もいると聞いたけど、わたしは素直に入ってきた。
至らぬ点もちろんあれど、思う通りの心構えで手を抜かずやれよと、背中を押してもらえた感じ。
著者の方は正直、文章へただし思想が偏っているし熱い想いを伝えるというか押し付けていて好きではなかったけど言いたい事は概ね分かった。
鬼十則、胸に刻んでこの先ゆきたい。
2014年6月5日
己を脱落者と認めた者が脱落者になるのだろう。
何かのせいにして気休めにする安易な者ではただただ哀れな脱落者となり、誰の心も打ちはしない。
己を鑑み、未熟さやずるさや自尊心を受け入れたなら、取り返しのつかない時が過ぎていようともそれは立派なことだ。
真摯に生きたと、言えるのではないだろうか。
2014年6月4日
人の心を打つ生き様を、いい噂話の形で作品にしているのがすごい錬金術感。
なんのドラマもないしそれを求めもしない、自分の信じる通りに生きる男の話。
友人にここまで言わせるのは、もう凡人じゃありませんよ。
2014年6月2日
唯、足るを知る。
その慎ましさは美しい。
喜助の穏やかさは神々しいとも言える。
足るを知らないことを知っただけでも、そこへ近付いたと信じて、わたしは渇望する。
2014年6月2日
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現実入門―ほんとにみんなこんなことを? (光文社文庫)
- 穂村弘
- 光文社 / 2009年2月1日発売
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2014年3月23日
若者のアイデンティティは、はっきりと分裂する。
どこに身を置けばいいものか当人は戸惑う。
それらは全てが現実で全てが自分自身なのだ。
三四郎は明治40年代に青春を謳歌した。
それから幾年過ぎた現在も、若者は悩みながら自分と外との折り合いを探し続けている。
2013年9月9日
読書の後は余韻が残るものだが、これは限りない空白を残された感じだった。
読み進めていくうちにきちんと空白を満たしてもらっていたと思ったのに、最後には埋めようのない空白が。
変に匂わせる余韻よりも、ずっと清々しい空白だ。
わたしにとって小説の醍醐味は共感、言語化の快感だったが、この小説にはとても具体的な救いを提示してもらった。
自分の中にはっきりと分人を意識すると(しかもそれは一人の時にも出来る)今まで気付いてすらいなかった窮屈から解放される。
人生のこれからに光を見た気さえする。
始めから終わりまで、考えてもどうにもならない先の不安や答えの出ないことのてんこ盛りなのに、始めは暗く絶望的なのに対して、だんだんと希望が見えてくるのが不思議だった。
景色や空気の丁寧な描写がとても素晴らしくて、映画でも見ているようにしっかりと頭のなかに映し出された。
2013年1月25日
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世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
- 福岡伸一
- 講談社 / 2009年7月17日発売
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福岡ハカセのたくさんの著書の中で、本書は地味な部類に入ると思う。
実際、わたしがこの本を手に取ったのはもちろん著者を敬愛していることもあるけれど「新しく買った新書用カバーに収めるのため」だった。
ハカセの文才は随所で光り、いつも通りたくさんのため息をもらしながら読み進めるも
化学の経験が少なからず必用で、サイエンスコミュニケーション本としてはいささか難しいかもしれないな
と感じながらページをめくった。
でも最後のぐいぐい感!
そこからハカセの愛でる世界のほんとうについて結ばれる優しい線。
読書の醍醐味はこの、共感を超えて得られる高揚感だな
と改めて読後のぼんやりした頭で快感を噛み締めている。
ハカセが言うことはいつもセンス・オブ・ワンダーと動的平衡。
本書は動的平衡を切り取る愚かさ、にもかかわらず切り取って所蔵したいわたしたちの小ささ、その小ささ故の愛しさまで描かれている。
いつも感じる。
真摯に突き詰めた人は、本当に優しくなる。
存在の問のゴールはその方向にありそうな気がしてならない。
2012年7月23日