「整体」創始者の書。
野口整体の創始者として、日本の東洋医学を代表する人物である野口晴哉が、初心者に向けてわかりやすく野口整体のポイントを説く。体の自発的な運動を誘導して体の偏りを正す「活元運動」、個に立脚した体力発揚法である「体癖論」と「整体体操」、体の本能的な力を使った「愉気法」などの他、風邪の活用法、飲み過ぎ食べ過ぎの体操、出産前後の体の正し方など。
野口 晴哉(のぐち はるちか、1911年(明治44年)9月 - 1976年(昭和51年)6月22日)は、日本の整体指導者で野口整体の創始者。
東京下谷に職人の子として生まれる。12歳のときに関東大震災に被災し、このとき本能的に手をかざして治療をしたことを契機に、治療家を目指したという。後に霊術家の松本道別に学ぶ。17歳で「自然健康保持会」を設立、入谷に道場を開き門人を育てた。
1943年(昭和18年)には手技療術の法制化を目的とした組織「整体操法制定委員会」の設立に携わり、議長を務める。多種多様な手技療術の中から有用な技術を抽出し、その標準型として整体操法をまとめあげ、昭和22年にはその指導者養成のため「整体操法協会」を設立。療術界で中心的役割を果たした。尚、整体操法制定委員会は諸療術の専門家(カイロプラクティック、オステオパシー、スポンデラテラピー、脊髄反射療法、健体術、手足根本療法など)によって構成されており、後述の山田信一も名を連ねている。
一説には「整体」という言葉は野口の発明とされる(大正時代に山田信一が最初に使ったという説もあるが、この語を広く普及させたのは野口の活動である)。
昭和20年代後半には、人間の感受性研究の成果として体癖論(これも野口の造語)をまとめる。1956年(昭和31年)に旧文部省の認可を受けて社団法人整体協会を創立。昭和30年代に治療を志向することを捨て、自らの活動を「体育」であると位置付けるようになった。 今日では、野口のまとめた整体は、いろいろな治療法の混在したままの一般的ないわゆる「整体」から区別するために、特に外部の人間からは野口整体と呼ばれ(野口自身は「整体」という呼称しか用いていない)、体癖論の他にも、活元運動、愉気法、潜在意識教育など独自の概念や方法論を持つ。野口は多くの後進の整体指導者を育て上げた。
整体協会の他にも、野口整体を標榜する団体は多数あるが、それらはすべて整体協会からは認められていない団体である。 協会で一度も学んだ事のない人物が主宰する会すら多数存在する。
整体協会は、平成25年4月1日に内閣府より公益社団法人として認定された。 正式な整体指導者となるためには、整体協会にて整体コンサルタントとして認許を受ける事が必要となる。 また、整体協会では活元運動を普及する、活元会を開催するための資格、活元コンサルタントの認許も行っている。
野口の唱える体癖分類において、本人は典型的な9種体癖であった(より正確には、捻れ体癖の混じった9種捻れ)。熱烈なクラシック音楽愛好家であり、スズキ・メソードの鈴木鎮一と親交があった他、カザルスの音楽をこよなく愛していたという。
夫人は、元首相で公爵近衛文麿の娘の野口昭子であり、書籍出版の面から夫の仕事を支えた。三男の野口裕介(ロイ先生、2014年8月23日没)は社団法人整体協会の本部講師として整体指導にあたり、次男の野口裕之(ダン先生)は社団法人整体協会内の身体教育研究所所長を務める。
音楽家の坂本龍一にも大きな影響を与えたといわれている。
弟子:
・金井省蒼(整体協会 整体操法段位 四段位 元整体コンサルタント 気・自然健康保持会主宰)
・二宮進(整体協会 整体操法段位 参段位 元整体コンサルタント 二宮整体アカデミー主宰)
・津田逸夫 (en:Itsuo Tsuda)(整体コンサルタントではないが、フランスを中心にヨーロッパにて整体法を広めた)
・岡島瑞徳 (弟子ではないが、整体協会の整体操法講習会に数回出席して、整体法を学んだ)
- 感想投稿日 : 2022年2月26日
- 読了日 : 2022年2月26日
- 本棚登録日 : 2022年2月26日
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