杜子春

  • 青空文庫 (2005年2月7日発売)
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感想 : 7

人間にとっての本当の幸福とは何だろうか。

自由な生活、大金持ちになる、結婚するなど様々だろう。そんな「本当の幸福」について考えさせてくれるのが、この『杜子春』である。
 この物語は語りおり、主人公の杜子春と仙人と閻魔大王の登場人物達で構成されている。この小説の形式は語りが一貫していてるので、児童などでも読みやすい作品になっている。また、話自体も童話に似ているため、大人も子どもも楽しめるだろう。
 貧乏な杜子春が仙人に助けられ、お金を手に入れるが、数回繰り返しているうちに「人間に愛想が尽きた」といいお金を拒否し、弟子入りをしたいと頼む。お金によって一時的な幸せは得ることができる。だが、お金がなくなると同時に友人達も離れていくことをみて、人間の薄情さと結局お金持ちになっても本質的に幸せにはなっていないことに気がつく。これによって、お金に執着する人間の醜さを表しているのだろう。人間はお金に振り回されながら生きているのである。現代でもこれは通ずるものがあるのではないだろうか。
 場面は変わり、杜子春の修行が始まる。「決して言葉を発さない」という修行だが、色々な幻覚が杜子春を襲う。そして、杜子春は地獄に落ちる。ここまで、色々な苦悩に耐えていた杜子春であったが、馬に姿を変えられた両親の登場により耐えられなくなってしまう。閻魔大王が命令に従わない杜子春に腹を立て、馬の姿である両親を鉄の鞭で痛めつけるのだ。そこで杜子春は「おまえさえ幸せなら、それでいい。」という母親の声を聞く。母親はこんな苦しみにも耐え、恨むことなどせず、息子を思いやっているのだ。ここでは、前の場面で表されていた「金に溺れる人間の醜さ」と「母親の有り難い志」の対比が効果的に描写されている。杜子春は周りの人間の薄情さに失望していたが、母親の自分への思いやりに心を動かされる。そして、「お母さん」と一言叫ぶのである。
 杜子春は仙人にはなれなかったが、晴れ晴れとした表情を浮かべる。なぜ仙人になれなかったのに嬉しそうであったのか。それは、杜子春が「本当の幸せ」に気づいたからであろう。人間らしい、正直な暮らしをすることこそが本当の幸せであり、人の思いやりの温かさも知ることができたのである。現代でも、「金が全て」といったような言葉がある。しかし、大金持ちになることだけが本当の幸せなのだろうか。このような問いをこの作品を通して読者に投げかけているのだ。大切なことは、人を思いやり、お金に執着しない正直な暮らしをすることではないだろうか。

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感想投稿日 : 2021年7月31日
本棚登録日 : 2021年6月28日

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