宮本常一や梅棹忠雄、網野義彦らの本を読んでいるとちょこちょこ登場する渋沢敬三。
渋沢栄一の渋沢家の1人であることしか知らなかったが、
表の歴史では戦中戦後の日銀総裁や財務大臣を務め、
その裏では一民族学者として、さらに私財をなげうって多くの学者を育てた「偉大なパトロン」だった。
「銀行の仕事は一度もおもしろいと思ったことはない」と語ったように、もともと学者志望。
渋沢家は渋沢栄一という偉人がいて、その偉大さゆえに重圧を受け続ける、不幸な家系だった。
敬三の父はその重圧に耐えきれず、放蕩な生活を送り、廃嫡される。
世間的には銀行家を務めながら、学問は裏の趣味にみえたかもしれないが、
「一番大切にしたかった」学問と接している時の敬三はいきいきとしいた。
戦後、表の仕事から解き放たれた敬三は学問に向かうが、
その時には家族とも離別、渋沢家の当主をなんとか務めながら一族の中では常に孤独だった。
敬三が最も信頼し、最も世話になったのが宮本常一だろう。
「旅する巨人」とあるように、庶民の生活から紡ぎ出す宮本の民俗学は足で稼ぐ学問。
23年も居候していた渋沢家を拠点に、日本各地を歩きまくって、庶民の話・モノの収集を続けた。
そんな旅を続けるには、定職をもたない「食客」としての身分が必要だった。
そのやり方は日本各地の郷土史家とネットワークを作り、資料を東京に集めて一つのかたちを見出した、柳田国男とは対照的。
当然家族とは疎遠になる。
宮本と敬三をつなげた共通点は「孤独」だった気もする。
この本には前述の梅棹忠雄、網野義彦をはじめ、江上波夫、今西錦司はたまた司馬遼太郎や山崎豊子まで登場する。
名著「忘れられた日本人」の土佐源氏(高知・梼原)と佐渡に、佐野氏が訪れた章は心しびれた。
「大事なことは主流にならないこと。傍流でよく状況をよくみておくことだ。舞台で主役をつとめていると多くのものを見落としてしまう。
その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを本当に喜べるようになることだ」
敬三が宮本に贈り実践したこの言葉は、偉大な2人の学者の、偉大な生き方を示しているようにも思える。
ここまで深く、2人の記録を掘り起こした著者・佐野氏に感謝。
以下メモ・引用
「何の束縛もなく放蕩の限りを尽くしてきた土佐源氏は、宮本にとって絶対に到達することのできない一種の理想的人間」
「彼等の本当の心は、聞かれて答える民俗学的な事象よりも、夜更けてイロリの火をみて話の途切れた後に田畑の作柄のこと、世の中の景気のこと、歩いてきた過去のことなど、進んで語る自分自身とその周囲の生活のことにある」
「自分の仮説に合う資料やデータばかりを集積し、自分なりの理論を組み立てようとする学者の態度は、数多くの事実の積み上げの中から
最小限いえることだけを引き出していこうとする宮本のような立場をとるものにとって許されることではなかった」
「宮本が意識的歩いたのは、焼き畑と林業を生業とする土佐の山中であり、山の頂まで段々畑の広がる瀬戸内の島々であり、漁業で生計をたてるしかない玄界灘の離島。宮本は稲穂が風にそよぐ東日本の水田風景にはほとんど目をくれなかった」
「2人と歩いた日本の村々の急速な解体と、大衆と呼ばれるようになった庶民のたしなみの目の覆いたくなるような劣化に・・・」
吉本隆明 川喜多次郎 昭和通商
- 感想投稿日 : 2012年2月11日
- 読了日 : 2012年2月11日
- 本棚登録日 : 2012年2月11日
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