── 柳田 邦男《「死後生」を生きる 人生は死では終わらない 20250124 文藝春秋》
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Yanagida, Kunio 作家 19360609 栃木 /元NHK記者/ノンフィクション
Hinohara, Shigeaki 医師 19111004 山口 東京 20170718 105 /従三位。
少女の魂の叫びと日野原先生の悔い
日野原先生(編集部注:柳田 邦男。日本の医師、医学者。聖路加国
際病院名誉院長)は、はじめてお会いしてからずっと、25歳も年下の私
をまるで目をかけた学生を育てるかのように、いつも気にかけてくださっ
た。
はじめてお会いしたのは、1980年11月のことだ。緩和ケアという用語
も取り組みも、一般にはまだ知られていなかった時代だった。発足して
間もない日本死の臨床研究会(編集部注:「死の臨床において患者や家
族に対する真の援助の道を全人的立場より研究していくこと」を目的と
して1977年に設立された会)が一般市民向けの啓発講演会を東京で開い
た時、日野原先生は「延命の医学から生命を与えるケアへ」と題する講
演をされた。
── 《未来を拓く教育実践学研究 第3号 特集「互恵としての教育」
~ 池田 康文氏を偲んで 19‥ 三恵社》共創型対話学習研究 機関誌
その中で先生は、現代の医療が延命治療に偏り、人生の中で最も重要
な穏やかな旅立ちとそのためのケアへの取り組みが配慮されなくなって
いる当時の現実を象徴的に示すものとして、自らの苦い体験を2例、語
られた。
一例は、京都大学医学部を卒業して医師となって間もなく、はじめて
経験した16歳の女工をしていた少女の死だった。結核性腹膜炎が進行し
て死期が近いことを自覚した彼女は、若い日野原医師に言った。
「お母さんには心配をかけ続けで申しわけないと思っているのです。お
母さんはお父さんがいないので、お仕事が忙しくて病院に来られません。
どうか私が申しわけないと思っていたことを、お母さんに伝えてくださ
い」と。
しかし日野原医師は、少女に死への不安を抱かせまいとする思いが先
走って、少女の魂の叫びに耳を傾けようとせずに、「あなたは元気にな
るのです。そんな気弱になってはいけません」と励ますことしかしなか
った。
「なぜあの時、お母さんにしっかり伝えてあげますから安心しなさいと、
少女の魂を癒やす言葉をかけてあげられなかったのか」
講演のなかで懺悔するかのような潤んだ声で切々と語る先生の真摯さ
に、私は激しく心を揺さぶられた。この時、先生は聖路加看護大学(現
聖路加国際大学)学長で69歳。私は44歳だった。
最期は家族を患者の側に… 夫を亡くした夫人の訴え
講演で語られたもう1つの例は、講演のつい2カ月前のことだという。
聖路加病院で夫を亡くした50歳の女性が、日野原先生を学長室に訪ねて
来て訴えたのだ。亡くなった患者の担当医は外科だったが、内科医の日
野原先生も長期にわたってかかわっておられた。
「先生、主人が外科の病棟で、一昨日亡くなりました。私は主人がいよ
いよ最後の息を引き取るときには、前から約束していたことを実行しよ
うと、覚悟しておりました。それは連れ合いの冷たくなる手を握って、
あの人をあの世に届けてあげようということでした。胃がんの全身転移
というのに、どうして大勢の医師や看護師さんが、主人が急変したので
処置をしますからといって、私を...
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