赤瀬川原平が野上弥生子原作の秀吉と利休を映画化する際に脚本を頼まれ日本史の基本のきの字も知らない著者が単なる歴史としてでは無く人間としての利休へと肉薄していく様を描いた作品である。
芸術新潮で初めて拝見した日本を代表する前衛芸術家、赤瀬川原平。その特集を読むほどにどんどん興味が湧き早速その著書をと図書館で手に取ったのがこの千利休 無言の前衛
赤瀬川が前衛芸術家ということは理解していたが果たして利休は?と言うのが読む前の正直な印象だった。利休と言えば安土桃山時代に秀吉の元に仕え、茶の湯と言う文化を作った何処と無くお堅い人という印象が強かったからだ。現代で言うとお茶は何処か畏まって決まりごとが多く肩が凝りそうなイメージもそれを助長しているかもしれない。しかし、元々あったお茶を飲むというただの行為を禅の思想に基づき、道へ、更には芸術へと昇華した点では当時最も前衛的であると言うのも頷ける。また、利休本人は常に新しい試みを模索しており自分の死後その思想或いは感覚的な部分がゴッソリと抜け落ち茶の湯が形骸化してしまうのでは無いかと考えていたほどである。そんな利休と赤瀬川原平が時を超え会合する様は実に興味深いものである。是非、原作と映画どちらも観てみたい。
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- 感想投稿日 : 2015年2月11日
- 読了日 : 2015年2月11日
- 本棚登録日 : 2015年2月11日
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