想像ラジオ

  • 河出書房新社 (2013年3月2日発売)
3.38
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本棚登録 : 3623
感想 : 551
5

人の意識、想像、思考、想い。
それが電波という思念となってココロの真ん中の
ふとしたチューニングがあった人だけに届く想像ラジオ。

必要なモノはイマジネーションだけ。
AMでもFMでもなく、IM。
意識、無意識に関わらず、届いてしまった人は
同じ意識のステージにいる人なのかな。

想像することだけで繋がっているラジオだけに
リスナーが聞いている時間も温度も環境も
流れてくる音楽も、DJの声も、その人のイメージも
すべてが自分の想像で成り立つ、すべてが
自由で象られる想像ラジオ。

私の中でもはっきりと受信しました。
ジングルもしっかり作曲しました。
DJアークさんのビジュアルも声の想像も完璧です。

リクエストで流れてくる音楽も
『デイドリーム・ビリーバー』と言われて流れてくるのは
それぞれが想像したその曲。誰が歌った、誰が演奏した
この曲なのかもリスナー次第。

この世の者とあの世の者を繋ぎえるかもしれない想像ラジオ。
大切な人を突然亡くして、ただただ茫然と現実を
受け止めきれない、愛する人に残された人たち。
そして、自分の身に突然起こった出来事を受け止められない
亡くなった人たち。

物事には両面があるように、当然のように
愛する人を失うということは、生きている人、亡くなった人、
それぞれの立場が違うだけで、失った悲しみは同じであること、
現実として受け止めることに混乱していることの大きさは等しいこと、
大切な人を失って、後に残された悲しみに包まれていたけど
ただ、互いが生きる世界を別の次元に切り離されただけ
ということに気付いた。

アフター3.11を取り扱った本書。
あの日たくさんの人の運命が大きく変わってしまった。
私も福島が父の故郷で親戚がたくさんいたり、数々の映像で
茫然とした日だったけれど、実際に災害に見舞われた当事者
ではないので、軽々しく言えるほどの悲しみでも苦しみでも
ない出来事で、心で祈ることしかできなかった2年前のこの日。

私にとって3.11はその1年後のちょうど同じ日、
私は息子を産み、そしてその日に息子は天国へと旅立った。
そんなこともあって、私にとっても3.11は最愛の人を
亡くした人生で一番苦しい日となった。

マスコミでもたくさん取り上げられる日なので
テレビや新聞、雑誌、インターネット、いろんな媒体で
その日付を目にするたびに、それでなくても
忘れる忘れないなんて出来事でなく、片時も忘れない
事柄を必死で覆って前に向かおうとしている毎日で、
そこにやたらな煽りで3.11、3.11と取り扱われることで
どれだけの被災者の方はそのたびにまた現実を、傷を、
まざまざと突き付けられて、傷を新たにしているんだろうかと…。

亡くした経緯や状況は違えども、これだけピックアップされる
日づけに自分の出来事も重なったからこそ、形は違えども
その日付を目にするだけで震えるほどの苦しみを覚える1人として
震災にあわれた方にとって、風化させないためにという名分で
今の震災へのメディアやネットでの取り上げ方は
本当に真意は汲み取れているのかと、関わり方を改めて考えされられた。

大切な人を失った人が、亡くなった人の意思を受け取りたい、
どこかで繋がりたい、話がしたいと思うと同じく、
亡くなった人も大切な人と別れなければいけない悲しみ、
自分の人生にやり残したことやたくさんの想いを残した苦しみ、
たった一人では切なくて、境遇を同じくした人と
こうやって意識という電波で繋がっていたとしたら…と考えた。

私が息子の声を聞きたいように、息子も私の声が聞きたくて
聞こえなくて泣いているのかもしれない。
まだ生きるということも理解ではないままに、亡くなるという
現実を受け止めなきゃならなくなったあの子は
今頃どうしているんだろうかと不安にもなった。

でも、こうやって本を通して、悼む側があるのと同時に
当然ながら悼まれる側の意識も同時に存在していることに気づいた。
この世の果てにあの世があるのではなく、この世もあの世も
同じくして悲しみも喜びも等しく存在しているかもしれない。
私が息子の声を聞きたいように、息子の笑顔が見たいように
きっと彼は毎日泣いている私の姿など望んでいないんだろう。

私が笑えば彼も笑い、彼が笑えば私も笑っている。
そんな風に繋がりを感じながら、目に見えなくても
これからも苦しいほど愛しているキモチと一緒に
歩いていけばいいだけのことなんだ。と気づかされた。

すべては想像すること。
私の電波をDJアークさんのように、息子は盗聴しながら
時に笑ったり怒ったりしてくれてるといいな。

いろんなことを考えたり、気づいたりするきっかけをくれた
この「想像ラジオ」を献本してくださったブクログさん、
河出書房新社さん、そして、素晴らしい世界を見せてくれた
いとうせいこうさん、ありがとうございました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ■ 読了本
感想投稿日 : 2013年3月29日
読了日 : 2013年3月29日
本棚登録日 : 2013年3月29日

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コメント 2件

円軌道の外さんのコメント
2013/04/22


心に沁みるレビューに
亡き人との
いろいろな記憶を
自分も思い出しました。


自分自身、父親や親友や恩師をはじめ
震災や事故で
何度となく
大事な人ばっか失ってきたけど

けどそこで立ち止まってるのを
一番悲しむのは
いなくなった人たちやと
俺は思うんです。


自分がもし死んじゃった立場ならどうかなって考えた時に、
俺の死を理由に
誰かが前に進めなくなってたら
やっぱ悲しくなると思うんです。

死はいなくなった人のためにも
乗り越えていかなきゃならないことやし、
別れを怖れずに
生きていくことが
死んじゃった人が一番喜んでくれることやと
自分は思っています。


人の縁も
忘れたい過去も
忘れてはいけない気持ちも
これからの未来に
繋がってます。


辛い過去があるからこそ
人は強くなろうと思うし、
そこから何かを学ぼうとする。


なぜ人は
年齢を重ねるんやろうって
よく考えるんやけど、
俺は思うんです。


過去に縛られ、
生活に逃げ込んで
ドアを閉めるためなんかじゃなくて、

まだ見ぬ新しい人たちと出会うため。

そして今まで出会ってきた人たちの
恩に報いるため。


先に逝ってしまった人たちの生きれなかった思いを胸に
1日でも多く生きるため。


自分自身が選んだ場所に
自分の足で
歩いていくためなんとちゃうんかな〜って。


俺もかなり時間かかったけど
自分を捨てた母親も、
叔父さんに虐待を受けたことも、
石を投げつけた近所の人たちも、
自分に罪をなすりつけた教師も、

今は全て
手放すことができました。


自分のせいで死んでしまった
親友への後悔の気持ちも
忘れることなく受け止めて、
亡くなった人たちの思いに
少しずつでも報いていかなきゃって
今は思って
日々生きてます(^^)


山本あやさんのこのレビューが
大切な人を失って立ちすくむ
誰かの後押しになるよう
切に願っています。


長文失礼しました。

山本 あやさんのコメント
2013/04/23

[♥óܫò]∠♡円軌道の外さん

生きていくことって失っていくことの繰り返しで
なんともやるせなくて、辛いなぁ…って
思っちゃうことってありますよね。

でも、今ある悲しみだけに囚われるのは
それも違うし、そこに絡まってしまうと、
他の大切な人や事柄が見えなくなって、また大切なものを
失うことにもなりえたり、他の人も悲しませることに
なってしまうこともあるしですよね。

時間が解決なんて生易しいことばかりじゃないけど
だからって前を、上を、向くことを諦める理由にはならないし、
ゆっくりでもしっかりと進んでいきたいですよね[*Ü*]

円軌道の外さんが葛藤したり苦しんだりしながら
手放してきた想いが、その分強い幸せを実らせてくれる
ことを心から祈ってます[*Ü*]
私も、もう亡くなってしまったんですが、長い間
実の父に苦しめられ、恨んだりもしたんですが
憎しみを手放して、すべてを許そうと思った時に
ほんとにキモチがらくになりました。
でも、憎しみが消えると残るのは愛情だけで、それゆえに
切なさは倍増しちゃったりするけど、憎しみなんて感情は
一番必要ない感情だから、どんどん排除して
柔らかくてあったかいキモチだけを持っていきたいですね。

許し許され、愛し愛されて生きていくことって
ずこく幸せで尊くて、でもその分苦しいことも
たくさんあるけど、でもでも、苦しい時に誰かの側に
そっといられるような生き方ができるといいですよね。

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