直感力 (PHP新書)

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羽さん  未設定  読み終わった 

羽生さんが日々心がけていることが将棋の話を交えながら語られ、羽生さんや将棋の世界について知るキッカケになりました。データや情報といった知識の集積と、人間が本来持っている動物的な勘。そのいずれを選ぶのかは直感によるものであり、「何を選ぶかは、選ばなかったことに対してどれだけ多くの創造力を働かせることができるか」によります。羽生さんのように日常的に論理的な思考をしたり多様な価値観を持ったり幅広い選択肢を持つことが、直感を鍛えるために大事なのことなのだと思いました。

p21
以前、カーネギーメロン大学の金出武雄先生と対談をさせていただいたときに「論理的思考の蓄積が、思考スピードを速め、直感を導いてくれる。計算機の言葉でいえば、毎回決まったファンクションが実行されているうちにハードウェア化するようなものだ。それまでは毎回発火していた脳のニューロンが、その発火の仕方がいつも同じなので、そこに結合が生まれ、一種の学習が行われたということではないか」と指摘してもらったことがあった。
つまり、直感とは、論理的思考が瞬時に行われるようなものだというのだ。
勝負の場面では、時間的な猶予があまりない。論理的な思考を構築していたのでは時間がかかりすぎる。そこで思考の過程を事細かく綿密に理論づけることなく、流れの中て「これしかない」という判断をする。そのためには、堆く積まれた思考の束から、最善手を導き出すことが必要となる。直感は、この導き出しを日常的に行うことによって、脳の回路が鍛えられ、修練されていった結果であろう。

p25
これまでで私が一番長く長考したときは、四時間弱かけた。しかしそれで素晴らしい手を指したかといえば、きわめて平凡な一手で、これなら三秒考えただけでも指せたというようなものだった。
逆に、相手に四時間ほど考え込まれたこともあった。
最初の二時間くらいはそれに付き合って、「どんな手でくるのだろうか」などと考えたりもしていたが、長くなり、時間が進むにつれ、およそ将棋とは関係ないことを考えていた。
「三時間あれば日本中どこへでも行けるな」
「お昼ご飯、何食べようかな」
「このまま永遠に指してくれなかったらどうなってしまうだろう」
といった、本当にたわいもないことだ。

p32
将棋は、ひとつの場面で約八〇通りの可能性があるといわれている。私の場合、その中から最初に直感によって、二つないし三つの可能性に絞り込んでいく。

p33
直感は、目を瞑ってあてずっぽうにくじを引くような性格のものではない。またその瞬間に突如として湧いて出るようなものとも違う。
今まで習得してきたこと、学んできたこと、知識、類似したケースなどを総合したプロセスなのではないか。
直感は、ほんの一瞬、一秒にも満たないような短い時間の中での取捨選択ぢとしても、なぜそれを選んでいるのか、きちんと説明することができるものだ。適当、やみくもに選んだものではなく、やはり自分自身が今まで築いてきたものの中から生まれてくるものだ。

p34
直感を磨くには、多様な価値観をもつことだと思う。
直感は、だまっていても経験によって自然に醸成されていくものである。その醸成は日々の生活の中でも知らず知らずのうちに行われているはずだ。そうした経験も大切だが、そこから何を吸収するかはより重要だ。それによって価値観も変わるからだ。
だからこそ、時には立ち止まって軌道修正が必要かどうかを確認しなければならない。直感のように感覚的なものはとても微細なものなので、少しのズレが大きな結果の違いを生むことも珍しくはない。
そして、目の前の現象に惑わされないこと。
近視眼的な成果にばかり目を奪われ、あるいはデータに頼って情報収集に終始することでは、おそらく足りない。それらに対する意識は不要とまではいわないし、またそれらはたいてい気づかぬうちに判断材料に入ってしまいがちなものである。しかし、であるからこそ意図的にそれらをセーブしなければならない。
そして自分の思うところー自分自身の考えによる判断、決断といったものを試すことを繰り返しながら、経験を重ねていく。そうすることで、自分の志向性や好みが明確になってくる。
「好み」というと単なる好き嫌いに聞こえるかもしれないが、それはとりもなおさず自分自身の価値観をもつことではないだろうか。
つまり、直感を磨くということは、日々の生活のうちにさまざまのことを経験しながら、多様な価値観をもち、幅広い選択を現実的に可能にすることではないかと考えている。

p39
直感を磨くためには、無駄と思われることが大いに役立つことがある。
たぶん無駄だろう、どうせ役に立たないけれど、というくらいの気楽な気持ちでやっていたほうが、たとえ直接的ではなくてもヒントになったり、何かのきっかけになったりする。

自分ではぴったり合っていると思っていても、実は刻々と変化する状況の中で、徐々にズレていってしまう場合がある。現在の状況と、自分の状況認識の間に、少しでもズレがあると、そこから導かれる決断にもズレが生じる可能性が高くなってしまう。
★ロジカルに考えて判断を積み上げる力も必要だが、無駄と思えることを取り入れるのも大事だと思う。

p60
★そもそも世の中のもので"絶対"のものなどひとつもないのだから、曖昧さがあるほうが自然だと思う。しかし"絶対"という名の安心が欲しいのも自然な気持ちではあるので、物事がきっちり運ぶように願いつつも、万が一のことを考えて保険をかける、そんな認識でちょうどいいのではないかと考えている。
言い換えれば、その場の状況に従う、成り行きを受け入れる感じだろうか。

p81
心理学ではミラー効果というそうだが、相対した相手と同じ動きをしているうちに、心理的にも同調することができ、安心して相手の話を受け入れやすくなったり、相手に好意をもったりすることになるそうだ。

p96
ある程度の流動性を保っておくということ。目まぐるしく変わっていく時代の中にあって、その変化を大前提にして、状況に適応しながら考える。
予想が外れることを前提にしていれば、対応もしやすいし、気楽ともいえる。

p97
もがけばもがくほどに状況が悪くなってしまうサイクル、あるいは分かっているけどできない、やれないことをどのように打破していくかだと思ってもいる。しかし、自信を失い不安を抱えている状況では最初の一歩さえ踏み出せないケースもあるのだ。
スランプでちょっと勝てないだけならいい。それについて考え込む必要はないのだが、ただいかなる結果になったにせよ、それが全部そのときの自分の力だ。それはそれで事実として認めることが大事だと思う。
そして、実力がないのであれば、要は実力を上げればいい。それには一生懸命努力するしかない。運に頼っていてはダメだ。一生懸命頑張って、根本的な地力をつけるしかない。

p117
人は必ず、アウトプットしながら考え、それを自分にフィードバックしながら、インプットされた知識や情報を自分の力として蓄積していくようにできているのではないかと考えている。

p119
★創造性と情報処理能力ー感性とロジカルの両方を兼ね備えてバランスをとることが必要なのだ。
加えて精神性。

p120
たとえばいま、何かを一生懸命やったとして、明日すぐに成果が出るなんてことは、なかなかない。半年、一年と経て、ようやく身になるものもある。
その間に、いま自分がやっていることが間違ってはいないか、違うやり方もあるのではないか、他人の意見はとうなのかといった、考え始めるときりのない要素を数え出しては、そこでためらったり、迷ったり、立ち止まってしまったりすることはないか。たとえ立ち止まったとしても、そこからまた歩を進めることができるのか。
積み重ねた分だけ成果が見えるような、性急な進化のみを目指してはいけない。そこに、人間ならではの進歩の秘密があるに違いない。
いま現在あらゆるジャンルで拡大を続けるデータとか情報といったものは、いわば人間の知識の集積だ。したがってそこから打ち出される結論や道筋は非常に重要であることは確かだろう。
また一方では、人間が本来もっている動物的な勘、野性の勘みたいなもの、そういうものもやっぱり欠いてはいけないのだという気もしている。
それら双方を、自分の置かれたその場面や状況に合わせて上手に使いこなしていくということが、必要なのではないだろうか。そしてそのいずれを選ぶのかー決断はまぎれもなく自分自身の直感によるのである。
何を選ぶかは、選ばなかったことに対してどれだけ多くの創造力を働かせることができるかによると思う。

p123
たとえば情報が収集しやすくなり、「もしも」を想定する材料が増えるのはいいことではあるが、それを集めて悪いほうばかりに考え、こんな可能性がある、こういう心配があるかもしれない、と心配の種を増やして不安がっているのは健全でない。
もちろん、いざというときのために、事前にきちんと備えておく、心構えをしておくことは大切ではあるが、それがすべて起こるわけでもない。
こういうときは、その不安要素を形成する情報をいったん整理してみることだ。
そのひとつは、情報を、事実と予想や説とし発信されたものとに分け、時系列に並べてみることだ。
そうすることによって大きな流れがつかめるし、ポイントとなる場面も浮き彫りになる。無駄な部分も明白になり、全体像がおぼろげながら見えてくるはずだ。そして、不確定な要素についても分かってくるし、どうなるかは分からなくても、実現する、しないの可能性は分かってくる。
情報の山をただ漠然と眺めるのではなく、それらを並べ替え、分析することで見えてくるものはあるはずだ。その作業をいったん行った上で、いま必要なこと、しなければならないことを考えれば、自ずと不安がるだけのことからは離れられるだろう。
不安なことを完全に取り除くことはできないが、少なくとも軽減することはできる。そして、少しでも少なくすることによって客観的、中立的な視点を得ることができるだろう。情報を、いかに不安を取り除く要素へと変換できるかが問われているのだと考えている。

p132
盤面上では自分が有利に、うまくいっている状態のことを考えでも仕方がない。こうすればうまくいく、というその手に辿り着いたところで満足しては、そこでもう思考停止となってしまう。
そうではなく、不利な場面をたくさん想定し、実際には回避する。その積み重ねぎ「あきらめない」精神を築くことにつながっていく。
また同時に、それは「ターニングポイント」を知る訓練にもなる。つまり、ここが勝負どころだとか、分岐点だとかいうポイントが、感覚として分かるようになるということだ。

p133
どこがターニングポイントだったのか。それはもうそこからどんかに頑張っても粘ってもダメという局面だったのか、細い道ながらも可能性はあったのかーといったことを、終わってからでもきちんと検証しておくことが必要だろう。
勝った、負けたといった結果で終えるのではなく、その分岐点を見極めておくことだ。筋を読めたか読めなかったのか。事実上の決着はいつ、ついていたのかー。
勝敗の分かれるターニングポイントを認識することができるようになれば、その先まだあきらめないで頑張るべきか、いやもうここはあきらめたほうがいいといった判断が明快にできるようになり、無駄な粘りをせず、必要な頑張りができるようになるだろう。

p166
現代の将棋では、どんな新手を考えても、いったん公になればすぐに研究かれ、対策も立てられてしまう。

p167
日々の事象に変化を見つけ、その先を想像してみる。そして一歩進んだら、それを具現化するものを創造してみる。それがかたちになったら、またその先を想像して……を繰り返すのだ。
こうして想像力と創造力の両輪を回しながら、進んでいく。

p170
ただ私は、それら運、不運も天気と同じようなもので、たまたまの巡り合わせといった程度のものだと思っている。それを「運命」だとか「必然」だとか、ことさら大きな意味のあるものとは受け止めない。そういうものはあるだろうとは思っているが、あまりそれに固執しないようにしている。
その結果に一喜一憂しないことだ。
それですべてが決まるわけではない。むしろ、そのときその状況に対してどう考えるかということのほうが大事だと思う。
運、不運や巡り合わせみたいなものがないということではなく、それらがあった上で、それでも地力があればそういう状態を乗り越えたり回避できたりするはずだと信じている。であるから、そちらに重きをおくべきだと思うのだ。


p175
自分の願いや希求するものを見つけたら、それをただひたすら追いかける。
追いかけるのは気持ちの上だけのことではない。本当に追いかけるなら、動かなければならない。できたらいいなぁと考えているだけだったり、手に入れることを夢見ているだけの段階では、まだ本当に追いかけているとはいえない。
追いかけるための行動を、具体的にとらなければならないのだ。

p178
人は、楽しい最中に「いまが楽しい」とは思わない。後で気づいて、楽しかったと思う。意図して、あるいは努めてそういう方向へともっていくことをしなくてもそうなるのが一番いい。

p207
先行きの分からない状況が続いてはいるが、そこでどうなるか分からないさまざまのことに心を砕き思い悩むよりも、まずは目の前にあること、何か自分の中で響くことに向き合っていくのがいいのではないかと思っている。
何よりも自分の気持ちに響く、自分の中から湧き上がってくる直感を信じることだ。

レビュー投稿日
2018年3月12日
読了日
2018年3月12日
本棚登録日
2018年2月21日
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