夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く

著者 :
  • イースト・プレス (2021年10月7日発売)
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感想 : 78
5

読後しばらく恍惚とし、いつもならすぐ書き始める感想文も手につかなかった。
2月に読んだ本書の感想を今ようやく投稿する。

***

留学先のロシアでひとりの先生との出会いが、著者のその後の人生を大きく変えた。
敬愛する恩師は、言葉の大切さについて教えてくれた。
なのに帰国前にふたりきりになれた時、言葉は無力になり、どの言葉も心を表しはしなかった。

「言葉が心を超えないことを証明してしまうような瞬間が人生のどこかにあるからこそ、人はどうしてその瞬間が生まれたのかを少しでも伝えるために、長い長い叙述を、本を、作り出してきたのだ」

忘れられない、忘れてはいけない、忘れたくない。

著者が過去を記した理由は、その全てかもしれない。この本を書き終えて、ほっとしただろうか。それとも...。

今まで読んだものの中で、もっとも儚くうつくしい回想録だった。

***

本を読んでいて幸せを感じるのは、こういう本に出会えた瞬間にほかならない。

この本を読んだときは、著者が翻訳した作品を読んだことがなかった。本能的に、読まなきゃいけない、と感じた。こういう直感は当たる。

p79
西欧圏では目次録の記述から六六六という数字を忌み数とする風習があり、そうでなくとも数字の揃ったゾロ目は好まれないことが多い。

p96
たとえばプーシキンのエヴゲーニー・オネーギンは、「余計者」の典型として文学史のなかで受け継がれていくわけですが、これはプーシキンが巧みにあの時代の申し子の心理を掴んで描き出した結果でもありますね-こういう人物像のことを「性質的形象」といいます。「いろんなことを少しずつ」学んだという生い立ちや周囲とのかかわりかたに、「オネーギン的」性質が常に反映されている。アレクサンドル・デュマのように心理的性質の描写に秀でた作家は、ひとつの作品のなかでたくさんの性質的形象を生み出しています。もっと知りたい人はぜひカール・レオンハルトの『強調された個性』という本を読んでみてください。

p102
エセーニンほど愛されている詩人も珍しい。文学が好きな人なら誰でもひとつやふたつは暗唱できるのだ。

p135
授業で「ちいさな人間」の形象の話が出たときだ。「ちいさな人間」というのは、ゴーゴリの『外套』に登場する主人公の小役人に代表される人物像だ。下級官吏など社会的に身分の高くない人間が、裕福な人からしてみればちっぽけなものごとに執着して一喜一憂したり翻弄されたりする様子が描かれるので、当時の社会問題や文化的背景が色濃く反映されている場合が多い。この人物像は世界的にもさまざまな広がりをみせた。(中略)芥川龍之介が『芋粥』という短編で『外』を模倣しつつ「ちいさな人間 」を描いているのは日本では有名な話(後略)。

p157
ロシアの大型図書館は基本的にすべて閉架である。

p183
エセーニンの詩が印象に残っている-

愚かな心よ 高鳴るな
僕たちは皆 幸福にだまされてる
同情を求めるのは 物乞いだけだ......
愚かな心よ 高鳴るな〔...〕

もしかしたら 僕らのことも
雪崩のような運命が 気にかけて
この愛に 小夜啼鳥の歌で
応えてくれる かもしれない

愚かな心よ 高鳴るな

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 2類 歴史
感想投稿日 : 2022年5月28日
読了日 : 2022年2月28日
本棚登録日 : 2022年2月20日

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