一度きりの大泉の話

  • 河出書房新社 (2021年4月22日発売)
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5

これは、ある意味どんな漫画より萩尾望都がわかる本である。
そして、「アマデウス」をモーツァルト側から書いた本だなと思った。
竹宮さんも優れた才能の持ち主である。
しかし、萩尾望都は天才であって、その能力を誰よりもわかっていたのも竹宮さんではなかったか。
そして、増山さんという漫画のミューズのような人がいて、二人に影響を与え、そのため二人が似た題材で描くことになった。もちろんパクったとかパクられたとかいうことはない。それは竹宮さんもわかっているだろう。作家として持っているものが全く違うので同じヨーロッパの寄宿舎の少年たちを描いても、全く違う作品なのは読めば明らかなのだが、(同じ情報を得た芸術家がそれをどう自分のものにして表現するか、比較するのも興味深いと思う)パッと見似ているのは否定できない。
そして、努力の秀才である竹宮さんが、これ以上一緒にいたら、似た題材で萩尾さんが自分より明らかに優れた作品を描く可能性があることに、言いしれぬ恐怖を感じたことは想像に難くない。竹宮さんの本を読んでいないので想像だけど、それは「嫉妬」以上のものであったと思う。
凡人としてはどちらかといえば竹宮さんの心情の方が理解できるのである。

しかし、こちらはモーツァルトがいかに苦しんだかが語られている。そこが、衝撃だった。

天才でも努力しているし、作品への思い入れだってある。プライドもある。ただこのモーツァルトは、悪気は欠片もなく、とてつもなく繊細で、正直で、優しい人なのである。(そこが作品の魅力にもなっているのだが。)自分の才能を信じて人がなんと言おうと意に介せず生きていける人なら、これ程苦しまなかっただろう。

これはどちらが悪いというわけでなく、同じ分野に才能のある、ほぼ同じ年齢の人たちが、同時期に同じ場所にいたことで起こってしまった悲劇である。
もし、時代や年齢や場所がずれていたら、起こらなかっただろう。

萩尾さんは、竹宮さんと別れてから彼女の作品は全く読まず、噂さえ耳に入れることを恐れ、会う可能性を徹底的に排除し(それは貴重な体験や出会いを諦めることでもあった)生きてきた。萩尾さんほどの才能のある方がそんな苦しみを持ち続けていたことにショックを受ける。
しかし、竹宮さんは萩尾さんの作品を一つ残らず読んだんじゃないか。そんな気がする。
そして、老境にさしかかった今、自分と萩尾さんの持っているものの違いについてより冷静に判断できるようになり、萩尾さんの才能も認め、もう一度会えたらと願っているのではないかと思う。
けれども、萩尾さんの傷ついた心は癒えることはなく、おそらくこのまま会うことはないだろう。
それは、もう、仕方ない。こんなことがあったと残っただけでも、ファンとしては喜ばないと。

それにしても、深い教養と優れたインスピレーションを持ちながら、漫画家になることなく、原作者として名前を残すこともなく消えていった増山さんという人、皆を冷静に見ていた城さん、辛辣な佐藤史生、山岸凉子、木原敏江ら漫画史に名を残す作家、役者が揃いすぎていて、ドラマにしたくなるのはよくわかる。

本書には未公開の萩尾さんのスケッチも多数あり、とても貴重な本。
昔少女漫画を熱心に読んだ人なら、見ただけで作品を思い出す懐かしい名前がたくさんでてくる。

山岸凉子と大島弓子についても、是非その生い立ちから人柄、エピソード、作品などについて、近しい方が記録を残しておいて欲しいと思う。

萩尾さんの作品が素晴らしいのは、この感性があるからで、「何十年も経ってるのにこんなこと書くな」なんて言う人は作品をちゃんと読んだことのない人なので、気にしないで欲しい。これが読めて本当によかった、書いてくださってありがとうございます、という気持ち。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年2月11日
読了日 : 2022年2月11日
本棚登録日 : 2022年2月11日

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