「わからない」という方法 (集英社新書)

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本棚登録 : 734
レビュー : 82
著者 :
バートルビーさん  未設定  読み終わった 

作者の言いたいことは、僕なりに砕くとこういうことになると思う。

あらゆる方向に「わからない」が散乱してしまった時、人は身動きが取れなくなる。これが「壁にぶちあたる」とか「挫折」の意味だろう。
この「わからない」が起っているのはすべて「自分の頭」の中のことである。じゃあ次には、「どうわからないのか?」を考えてみる必要がある。
「自分はどうわからないのか?」を考えた時に、向かうべき方向だけは分かる。それが羅針盤の役割を果たす。
そうしたらあとは簡単。その羅針盤だけを頼りに「カラダを動かす」。
つまり「わからない」「自分の頭」は放って「カラダを動かす」のである。

誰もがただ一つの正解を求めた二十世紀は終わりを告げ、今度は誰もが「わからない」の地平から出発する時代がやってきた。
たぶん、作者の言いたいことはひどく単純なのだ。そのくせ本書で述べているように、作者の書き方は確かに「くどい」。
けどそれはひとつには作者のような、何も「わからない」読者に書かれているためであり、
もうひとつは、上で述べたとおり誰にとっても「わかりやすい」「正解」などというものは存在しないためである。

作者は一段高いところに立って、「物を教える」立場にいるのではない。
むしろ作者は何も「わからない」読者とおなじ目線に立って、「わからない」から「わかる」までの道のりを一緒に歩こうとしているのだろう。
それはまさに裏表紙にあるような「知的冒険クルーズ」という名の体験である。作者は率先してそのクルーズのガイドとなろうとしている。

もっと意地悪い見方をすればこの「くどい」文章がそのまま、「正解」ばかりを求めてそこに至るまでの道筋を気にしない二十世紀型思考人間への批判でもあるのだろう。

だから冒頭で「僕なりに噛み砕くと」なんて書いたけれども、本書にとっては「各要素」とか「あらすじ」などといったものをいくら抜き出したところで全く用をなさない。
むしろ各部分にバラせない(=手軽さがない)事にこそ、この本の真価があるのだと思う。

<memo>
作者の文章を読んでいたら高橋源一郎の文章読本と手触りが似ているなと思った。おそらく何にも「わからない」対象に向けて書かれているのが共通しているのじゃないかしら。
本書は文章読本的な要素もあってタメになる

この本は「○○すれば××できる」風のハウツー本ではないが、ハウツー本のヘリや周辺に位置すると思う。
誰にでも当てはまる「○○すれば」的正解はないが、その上でどうやったら自分なりの正解を導けるかを考える本である。
勝手に「ハウツーのヘリ本」と呼ぶことにするが、このジャンルはおもしろい本多い気がする。

レビュー投稿日
2012年4月26日
読了日
2012年4月24日
本棚登録日
2012年4月10日
2
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再読情報 [1回]

  • 2014年10月27日

    脳じゃなく、身体でおぼえるっていうことなんだよな。「わからない」は当たり前で、そんなもんはやってるうちに慣れる。慣れるっていうことは即ち「わかる」っていうことなんだ。
    そしてそれを可能にするのは身体への絶対的な信頼なんだな。脳がいらないと思ったことも身体はちゃんと覚えている。身体を信頼するって、どういうことだろ?

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