アウトサイダー 下 (中公文庫)

  • 中央公論新社 (2012年12月20日発売)
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感想 : 11
5

〈まとめ〉

クソほどの価値もない人生をいかに生くべきか、それがアウトサイダーの始点だ。まともに考える脳みそもってればこの世がクソほどの価値もないのはまず間違いないのだが、ほんとうにクソほどの価値もない人生だとすれば、「じぶん」も当然のことながらクソほどの価値もないことになる。ここからあらゆる対立がはじまることとなる。そのなかでも最も壮絶な戦いとなるのは、当然のことながら自己との対立だ。

若き作者はみずから「アウトサイダー的」と思われる小説家や思想家の著作をとおして、「アウトサイダー的」葛藤の歴史とその戦いの行方をつまびらかにしようと試みる。

下巻にはいると急に宗教的、あるいは神秘的な面が際立ってちょっと「ぼんやり」してしまうのは、たぶん致し方ない。どっちみち「いかに生くべきか」は宗教的領分なわけだし。

まあちょっと物足りないとこないわけではないけど、「もっとこっちのほう突き詰めたい」と思ったらこの本はそのまま「その手の本のカタログ」にもなるというすぐれものなのだ。

ちと感想書くまでに時間があいてしまってあれだけど、自分が今までぼんやり抱いていたテーマを、「それ実存主義っていいますねん」とおしえてもらい、かつ充実した講義を受けたような気持ちになれたんで星5つ。

以下、引用。

>少量の病菌を体内に注入すれば、その人間は大量の病菌にたいして免疫となり、酷暑と酷寒に慣らせば、普通の人間が死んでしまう条件下でも生存をつづけるほど暑さ寒さへの抵抗が増大する。それと同様に、命のさだかならぬことに心をさいなまれている「アウトサイダー」は、その無常感を、自分をより強靭にするための生物学的な一手段と見なすことができる。つまりそれは、「充実した人生」を送ることを可能にするための手段なのだ。

>ここに「アウトサイダー」にとって最悪のディレンマがある。一方では、自分の全身全霊がなんらかの感情的充足を求め、確乎とした現実に触れたがって呻き苦しんでいるにもかかわらず、他方、理性の働きは一人そこから離れたところに立って充足の可能性にけちをつけ、充足へ一歩でも近づくことを妨げているのだ。

>真に知識を得る方法は実験である以上、真に知ることとは体験することでなければならない。

>思想が洞窟に閉ざされるとき
地獄の底で愛はその根をむきだしにする。……

これを言いかえれば、自己表現が否定された場合には、エネルギーは犯罪か暴力に捌口を見つけるということである。自己表現が危険に瀕したときには道徳を度外視してもかまわぬという態度が、ブレイクの作品にはしばしば見られる――「満たされぬ欲望を抱いているくらいなら、むしろ揺り籠の幼児を殺せ」

>「詩人はヴィジョンを見る人でなくてはならない。人は、ヴィジョンを見るべく心がけるべきだ。……」「永いこと感覚を整然と狂わせておくことによって人はヴィジョンを見るようになる。」

・内に力を蓄えること(消極的な考えにとらわれ無為にエネルギーの浪費をしない、稼いで遣うという資本主義的思考の否定など)
・自己充足によりヴィジョンを見ること
・ニーチェの見た『力の意思』、『力のヴィジョン』を見るよう心がけること

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 人文・人間
感想投稿日 : 2013年4月21日
読了日 : 2013年2月20日
本棚登録日 : 2013年2月13日

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