文學界 (2020年5月号)

  • 文藝春秋 (2020年4月7日発売)
3.21
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感想 : 8
5

三木三奈「アキちゃん」
……そう考えることによって、世界を単純化し、まるごと手中に収めることができるような気がしていたのだった。(P18)
【初読の感想】
まず冒頭を読んだときに、このエピソードが現在の語り手にどう影響しているのだろう、という疑問を覚えた。しかし語り口の回想の形とは別に、物語は現代に戻ることはなく終わる。
「アキちゃん」という呼び方と、彼女に関して話す語り手の違和感により、物語終盤に明かされる「アキちゃんが実は性別小男だった」という事実に驚きはなかった。
代わりに与えられたのは、語り手を散々にいじめる「アキちゃん」も確かに報いを受けているということ。彼女(彼)は結局真の幸福に辿り着けず、中学に進学後自身の生物としての性と精神の性が一致しないことには意味があると感じる。結局この物語は語り手の呪いが成就したと思うべきか、或いはより宗教学的にカルマを考えるべきか、判断は難しく思う。

会田誠「げいさい」
終わり方が正直どう判断すべきか困る。ただ「ずるい女」としての  を考えると、中絶した赤ん坊のことを考えた結果、藝大の受験を失敗し、それから人生がうまくいっていない二郎と、一時は不感症になりながらも新たな恋人を見つけ、また新たな表現方法を見つけた  の対比は面白い。作品全体を通して、二郎が語り手の分身であると見なすのであれば、結局芸術で成功した(と判明している)のは中絶した赤ん坊を捨てられず、当時散々な目にあっていた二郎なのだ。二郎の受験失敗については多くの言葉が作中述べられているが、結局のところ芸術において捨てられない物を捨てないことの重要性を感じたように思う。一点気になるのは  の立ち位置である。彼女は果たして芸術家として成功できない人物として描かれていたのだろうか。関氏との関わりをより考えることでそれは恐らく、明らかになるのだろう。
芸術に関するリアルな描写が良かった。

奥野紗世子「復讐する相手がいない」
テロによって崩壊した新宿の街で暮らす人々の物語。冒頭で暴力を振るわれたアリゾナの描写があったことにより、読み始めた当初は彼女がどう「復讐」するか、という物語だと考えた。
しかし実際に復讐をしたい、しかし復讐する相手がいないのは彼女を取り巻く「昔を知る大人たち」の方であると作品は語っている。
では彼女は復讐をしないのか。
彼女は結局、オールウェイズ・ハッピー・ドラゴンの一員としてテロに加担する。テロに加担する流れになっても彼女は、最後まで手にした銃を使うことを躊躇っている。
「女の女衒はクソだ」と罵られ続けた彼女が「復讐」しないのは何故か、と問うたとき1番に思いついたのは、彼女自身が女衒であり、テロを起こした時にも傍らには彼女自身が貶めた少女がいたからであるということ。
復讐する相手がいないのは、彼女自身が復讐する相手だからであるということだろうか。街が悪いだけで、復讐されるに値する人など誰もいない、という答えではないことを祈る。
全体として情報量が多く、読み解くのが困難な作品だった。テロリストたちが金歯や銀歯(それらは都市鉱山からディグってきた街の記憶のような物だ)を自らの目印としていたことは興味深い。彼らは街を身につけ、街を破壊していた。

田村広済「樒の家」
宗教に囚われた母と、その母をどう思えばいいか分からずにいた息子とが、慢性硬膜下血腫による「汚い血」を通してその愛を確かめる。
過去、母は火事で燃える家の中に息子を放置したまま、観音菩薩を助けた。その事は確かに息子である弘宣の心にトラウマを残している。事件以降、両親は離婚し弘宣は父親についていったが一度だけ、母親に会いに行っている(会ってはいない)。
トラウマがあっても母親を愛する気持ち、求める気持ちを消すことができない弘宣の感情の動きは酷く人間的だ。そして且つ、彼が憎んでいたと言っても過言ではない「汚い血」によって彼らの絆が回復したのは、分かりやすく陳腐な構図ながらもしかし、これしかなかったのだろうと思わせてくる。
認知症を患っていると思われる母親が徘徊しながらも、名乗ってもいない息子のことを思い出し、その血を(宗教に依って)綺麗にしようとしたシーンで、結局母親が弘宣の幸福だけを祈っていたのだろうと物語が帰結したのには心が温まった。
少年期の弘宣のどうしようもなさを深く描いていたからこそ、あの落差が面白かった。

李琴峰×王谷晶「同性愛を書くのに理由なんていらない」
どうしても同性愛を特権化しようとする議論に思えた。
「同性愛が異性愛と同様に、自然なものとして小説に描かれるべき」という理想は理解できるし、確かに現代社会はそういう方向に向かっているのだろうとも思う。しかし小説という仕組まれた世界に登場させるのであれば、それが例えどんなささいなもちーふであったとしても、そこには作為が込められるべきだと考える。外国人が沢山街にいることを描写すべきという意見も、小説は風景を全て描写しているわけではなく、必要なものを取捨選択して書いていることを考えれば、やはりマイノリティに特権的地位を与えたいのだろうと考えてしまう。
フィクションと現実は明らかに同一のものではなく、それが故に現れる全てのモチーフはその裏を考えられてしまうのではないか。

鴻巣友季子「疫禍のもたらすもの--病と文体」
デフォー『ペストの記憶』の文体がペストそのものを示している。という考えが非常に面白かった。筋だけではなく、その文体によってまた主題を描くというのは、現代の小説(或いは読者の読み方)としては類を見ないものではないか。このようにトリッキーながらも読み応えのある文章を書きたいと思わされた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年5月7日
読了日 : 2020年5月6日
本棚登録日 : 2020年5月6日

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