「人間は、母国語以外の新たな外国語を習得すると、思考のしかたも、ものの見え方も違ったものになる」というある言語学者の説が紹介される。
私は、この説を切り口に、そこまでに進んできたストーリー、それから進んでいったストーリーを見つめて、この映画のメッセージを探していた。
多くの日本人は義務教育の段階から英語を学んでいくが、その言語の仕組みやそれを通して読み込んだ文章が自分の思考回路に多少なりとも変化を与えたと感じる人は少ないのではないだろうか。
(専門的に英語を研究したり、それを通じて生業を立てたりする人ならおそらく、それを経験していない日本人とのコミュニケーションのなかで、英語で思考する経験をもつ以前の自分との違いを見出すことがあるかもしれないが)
「言語が思考を構築する」というのは、「その環境(世界)で生存していくために思考を繰り返すなかで言語が生み出された」という説が先にあるのだろう。
そんなことを考えると、地球外生命体を理解しようと考えたら、言葉(視覚的記号)の構築している論理を解明していくことが実は一番着実な方法だということにたどり着く言語学者の姿勢は差し迫った状況のなかでも筋が通っている。
言語学者ルイーズがその学者としての眼差しで地球外生命体とコミュニケーションを図ろうとするが、軍のウィーバー大佐から、「あなたたちのやっていることは道を外している」と退けられるシーンには、理想と現実(アカデミズムと軍)の二層の世界が地球外生命体の出現という緊急事態を眼の前にしてくっきりと隔てられているのを感じさせられた。
そして、もうひとつの大きなこの映画のメッセージは、「相手を分からないということで生じる恐怖が悲劇を生む」という人類の歴史を思い起こせないと、新たに出現した相手とのコミュニケーションを図ろうとする一歩を踏み出せず、「‘信じて協力する’という想像を拡大させる可能性を潰し続けることになる」なのではないか。
- 感想投稿日 : 2017年11月18日
- 読了日 : 2017年11月18日
- 本棚登録日 : 2017年11月11日
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