失投 (ハヤカワ・ミステリ文庫 スペンサー・シリーズ)

  • 早川書房 (1985年10月30日発売)
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感想 : 20
5

ミステリの名作「スペンサー・シリーズ」の第3作目にあたります。
私は1冊目と勘違いして読んでしまいました。
シリーズの初読は「初秋」という名品でしたが、
それ以降はこのシリーズに手を伸ばさず、何年ぶりかで
このシリーズを読み通してみたくなり、手に取りました。

スペンサーは、強面の私立探偵。
男性なら皆さん憧れるような、大人で、強い男です。

球界屈指の名ピッチャーが八百長に関わっているらしいので
無実を証明して欲しいと依頼を受けます。

調査を始めてみると、ピッチャーの彼は
後暗いところのない善良な男で、高潔な選手であることや
妻と子供を愛する、良き家庭人でもあることが解ってきます。

ところが彼の妻には、悲しい過去があるよう。
調査の依頼とどう関わりがあるのか…。

スペンサーは彼女を疑うことはせず,できるだけ傷つく人が
出ないように、事件の解決にあたろうとします。

そこがこのシリーズが出現する前の
ハードボイルドシリーズとは違うところなのだと思います。

普通なら、謎の真相を握る女性を揺さぶって、
責めてしまいそうですが、彼はそうはしません。

彼女がした、ある決断を、静かに支えるだけです。

事件の解決の、最後の最後に、彼は怒りを爆発させて
悪党相手に、力に訴えます。
スペンサーが抑止力として行使した力は、
醜悪なものではなくて、必要だった力の行使です。

でも、彼はそのことを深く悔いて、自分が楽になるために
正当化するようなことは一切しません。

いい戦いも悪い戦いもない。

「誰かが傷つくような力を揮う。
それは簡単に認めてはいけないんだ。」

そう言っているように、葛藤するのです。
これが私には、大変胸に響きました。

報酬や、マッチョな喜びのためにでなくて
信義や幸福を守るために働く姿が、とても素敵でした。
それを押し付けないで、すっと行動してしまうところが
やはりヒーローなのでしょうね。

スペンサーは、強面ですが、女性を軽蔑しないし
生活の細々としたディテールを愛しています。
すっきりとした服装は、やりすぎではないし
食事も楽しみます。お酒も強いみたいですね。

大変な読書家であることが作中でも分かりますし
教養やウィットにも富んでいます。

冗談は言いますが、馬鹿げたチャラチャラした感じが
ないのもとても魅力的で、スペンサーの頭の回転の速さや
人間味をよく表しているのではないでしょうか。

登場する女性たちも、ヘナへナしていたり、お馬鹿さんだったり
していなくて、言いたいことを嫌味なくきちんと述べるのも
彼と好対照をなしています。

「初秋」も良かったですけれど、この「失投」も
とてもいい作品でした。

そして、申し添えたいのは、翻訳家の菊池光さんの名訳。
出版されて、この本は随分年月が経っていると思いますが
このシリーズの雰囲気を決定づけているのは、菊池さんの
訳によるところが大きいと思います。

私自身は4Fミステリと言われるジャンルからミステリに
はまり、もちろん女性探偵たちの活躍も愛読していますが
菊池さんの名訳によって、ミステリや冒険小説の名作に
触れたことが、このジャンルをずっと楽しんでいる要因の
一つを形作っていると信じています。

食わず嫌いして、もし狭い範囲でしかミステリ
読まなかったらもったいない!ことになってました(笑)

面白いものは、男女どちらが主人公で、どなたがお読みになっても
愛読されるものですから、あの時いい出会いをしたのは幸福です。

菊池さんのお仕事で、ぱっと思いつくものと言ったら…
うーん。たくさんありますけれども。

ジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」
ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」
ディック・フランシスの「競馬シリーズ」
トレヴェニアンの「シブミ」
ジョン・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」

新しいところなら、「羊たちの沈黙」を訳されたとご紹介した
ほうが、わかりやすいかもしれません。

ここのあげた作品は、どれも夢中になって読みました。

独特の乾いた文体にそっと垣間見える優しさや品があって
あまりこういうのは読まないとおっしゃる方がいらしたら
是非読んで頂きたいです。

私自身もスペンサー・シリーズを1冊目から読もうって
心に決めましたしね。

やっぱり人気シリーズは、素晴らしいところがあって
作品と、翻訳者の方と、読者が一緒になって大事にしてるから
いつになっても愛されるんだと思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ミステリ
感想投稿日 : 2013年6月25日
読了日 : 2013年6月25日
本棚登録日 : 2013年5月20日

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