10代の終わりまたは20代にさしかかったところで読んだ金閣寺は面白く軍服を着て割腹した人のイメージよりはずいぶん普通の気がしたが、寂聴とキーンさんの対談で褒めちぎられていた「禁色」があまりにも小説の中に小難しい持論の盛り込み過ぎに、いや、わたしの脳みそでは理解できないから・・・と腰が引けてのこちら。
耽美的といわれればそうだろう。
解説による(当時にとっての)現代の谷崎潤一郎だ、というなら・・耽美とは男女の絡みに終始する言葉なんでしょうか。美=性なの?
清廉で聖母のようになにもかも受け入れる、マリア像を思い浮かべるとわかるように大きく手を広げて「さあ、眠りなさい」ということなんでっしゃろ?でも相手の描写がほとんどないので、ひとり取り相撲に見える主人公の美しい恋愛。
わたしには三島氏があまりにも金銭的にもお家柄的にも恵まれすぎて、そうならマザーテレサのように家を捨てて慈善に尽くせば、極貧に至り、地を這い血を吐くような労働でもすれば割腹なんてしないで、人生に暇もなくて(貧乏ヒマなしな日常なら)死に見せられることなどなかったんじゃないかなぁと思うほどに、なんかー。暇なんだなぁ・・・とこの本を読んで思った。
解説を読んでなおさら、なるほどねー、とわたしとそれら耽美派?の知識人、文筆家に無縁の衆生きとカテゴライズされるのみだと思った。
谷崎文学もよくわからないので、なんとも言えないけれど、それともぜんぜん違って彼はとにかく満たされ過ぎでどんどん強い刺激を求めこんな本を書いたのかぁと思った。
朝っぱらから読んでもぜんぜんドキドキしない自分にも、もうおばさん毒が回りすぎなのか、この本がつまんないのか、と小首(太首か?)をかしげる次第。
文章のうまさとしては問題なしか。スラスラ読めた。
- 感想投稿日 : 2018年9月21日
- 読了日 : 2018年9月21日
- 本棚登録日 : 2018年9月21日
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