挑発する写真史

3.40
  • (0)
  • (3)
  • (1)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 52
レビュー : 3
boompanchさん  未設定  いま読んでる 

撮るのは結構好きなものの、写真史を全く知らなかったので、非常に勉強になる本だった。
著者の独自の視点から、数人ずつピックアップし、その関係性を軸に写真論を展開していく。
これを読みながら、登場した写真家の写真集を読むというのが非常に面白かったです。


以下内容メモ

<モダニズム写真の潮流、現代写真への流れ>
写真は絵画の模倣から始まった。写真ならではの表現を追求し始めたのは20世紀入ってから

◯アジェ
・幕末に生まれ、俳優、画家を挫折して写真にたどり着いた。写真は自己表現がなくても撮れる。
・記録、分類、整理する対象として撮っていて、シュルレアリスト(無意識を引っ張り出して作品化という考え方)から評価された。
・撮影という単調な行為を情熱を持ってやっている。退屈なもの売りの写真が大量にあり、しかしそこからただただ街が見えてくる。答えがない、しかしだからこそ自由に解釈できる。

◯アボット
・彫刻から写真の世界へ、職業写真家として成功し、技術的に洗練されている、構図が厳密。
・アジェの晩年に会い、残されたガラス乾板とプリントをアメリカに持ち帰った写真家。
ニューヨークに移り、歴史的建造物を取った。1930頃からようやく制作費の補助金ももらえるようになった。
・Berenice Abbott, Changing New York

◯エヴァンス
・1903生まれ、アボットの5つ下。文学青年でニューヨークに住むようになって、証券会社で働いてるサラリーマン時代に写真を始めた。20半ば。
・パリから来たアボットに出会いアジェの写真を教えてもらう。
・ピントの位置の違いを工夫していてよく考えられた写真。地下鉄シリーズでは車内で隠し撮りをしていて反社会的
・エモーショナルな表現、感情はない。ディテールに視線がいく。

・地下鉄シリーズ’, Many Are Called
・代表作、FASプロジェクトシリーズ、経済的に疲弊したアメリカ南部の農村を撮影
・初個展 Walker Evans: American Photographs 時の同名写真集は古典的名作

◯まとめ
・アジェはパリ、アボットはニューヨーク、エヴァンスはアメリカ。とそれぞれドキュメンタリー(記録)になっている。
・写真は残すことが大事、そのためには本人の意思と周りの努力が必要。


<芸術としての写真の始まり>
○スティーグリッツ
・1864生まれ、当時は8×10の三脚が必要なでかいカメラしかなかった。1892にフィルムサイズで手で持てる4×5が登場した。1920後半にライカ登場(35mm)。年代順に見ると機材の進化を感じる。
・アメリカ近代写真の父、ヨーロッパ生まれの写真をドイツ留学時にのめり込んで身につけ持ち帰り、自身の作品発表や雑誌刊行で広めた。
・芸術写真に取り組んだ、まだ写真が芸術と認識されてなかった時代。絵画のように美しい写真(ビクトリアリズム)。写真は現在の表現ではなく、自意識を前面に出した表現をした。
・親がスポンサーでお金を出してもらって芸術活動をしてきた

○荒木経惟
・1940生まれ(スティ+76)
・女性を綺麗に取らない。予算が少ないこともあって貧しさのリアリティがある。戦後の貧しさ、ペッチャンコーラ、
・編集が上手い、写真をどう見せるかのこだわりが前衛的。知的な操作で大衆芸術としての成立要件を考えてきた人。
・腐ったネガで出来た作品: 死現実
・私写真の元祖的存在、演出が入っていて、だからこそ作品として伝わる: センチメンタルな旅 冬の旅
・Subway Love
・東京は、秋

○70年代の自主ギャラリー作家
・荒木より一世代下の団塊の世代によるコンポラ写真
・それまでのカメラメーカー主催の写真展と変わった個人の発表の場が自主ギャラリー、大まかに2つの流れ
1. Workshop写真学校: 東松照明が校長、荒木、森山が先生。PutやCapm
2. 東京綜合写真専門学校関係者: プリズム、Owl
・自分の美意識の解体宣言、写真は何かの表現ではない、写真はどこにあるのか?の疑問に答える各人のコンセプト。
・思考訓練としては面白いが見る側から受け入れられるかは?(撮影したところの逆側を撮る、3秒ごとにシャッターを切る)
・あまり入手しやすい資料がない: Independent photographers in Japan 1976-83
・経済状況による断絶を挟み、第二次、第三次自主ギャラリーブームが続いていった。


<スナップショットの作品作り>
・スナップショットは一瞬の瞬間を掴まえることができる意味で写真の特権、報道写真の多くはこれ。

◯アンリカルティエ=ブレッソン
・フォトジャーナリズムの世界で優れた報道写真を撮影。スナップの名手、ライカの達人。古典中の古典。
・1908パリ郊外生まれ、地元の金持ちの子で、絵を描いていた。15でシュルレアリスムの影響を受けた。その写真家マンレイの写真を見てライカと出会う。
・写真を芸術作品として美術館に展示した先駆者の1人、1946。加えてメディアに写真を提供して雑誌に載った。
・the early work 初期の作品を集めた写真集。
・最初の写真集: the decisive moment、決定的瞬間と訳されるが、特異な何かが起こったというより、構図が完璧。50mmの写真がほとんど
・特徴は、一枚の写真で全てを表現しようとするところ

◯森山大道
・1960〜路上スナップ中心に活動。日本を代表する写真家
・1938生まれ、10代グラフィックデザイナー、写真に興味を持ち関西写真界トップだった岩宮武二に助手として入った。東海末、VIVOに触発される。独立後カメラ雑誌で活躍。
・代名詞: アレブレボケ
・特徴は光と陰、フィルムの物質性を感じさせる。
・旅芸人、アングラ劇団、新宿、ローカルな文化を写した。スタイルはウィリアム・クラインの影響を感じさせるインターナショナルスタイル
・workshop写真学校に参加し、閉校後の、CAMPを創立している。

◯牛腸茂雄
・森山の8歳下、コンポラ写真代表格、グレートーン、引き気味の写真。
・1946新潟生まれ、子供の頃胸椎カリエスを患い小柄、少年少女の写真が多く、目線が彼らに近い。子供の頃から絵が上手。
・高卒でグラフィックデザイナー目指して上京、桑野デザイン研究所へ。大辻清司の生徒へ、写真の腕を認められる。
・self and othersで抜きん出た存在へ、見慣れた街の中で、を出して36で亡くなる。
・普通を突き詰めたはずなのに異常な感じになる。余白が多い。情報量が少なく曖昧。
・戦後民主主義の中で日本では写真で社会を良くしていこうという考えが根底にあった。しかし70年安保挫折の冷えたムードの中では成立せず、デモもなし、公害は既に取られている。その時に家族や友人、日常に目を向けるという発想が生まれや大辻がこれを「コンポラ」とまとめた。


<ロバートフランクの「アメリカ人」が変えた写真のコース>

◯ロバートフランク
・1959刊行のthe Americans についての展覧会が国立美術館2009に開かれた、異例。
・ドキュメンタリー写真=報道写真の時代にそれ以外のドキュメンタリーを示した(パーソナルドキュメンタリー)
・このあまりに有名な写真集を出した後インディペンデントの映画を作り、2000年代入ってから過去撮影した写真を再編集して次々に刊行。
・スタイルがない、距離感もまちまち、気分でトリミングしている、曖昧さが研究対象として選ばれたポイント、成功と失敗の概念が曖昧。

◯鈴木清
・1943福島いわき生まれ、フランクの19下、フランクと親交があった。
・心地よいストーリー性はなく、ページをめくるたびに混乱が深まる。やり過ぎて何をしたいのかわからなくなる、何を撮りたいのかわからなかったり、バランス感覚が悪い。しかしかっこいい。
・57年の生涯だが、写真賞に恵まれた。一方で写真史のどこに位置付けるか決まってない。


◯春日昌昭
・1943墨田区生まれ、47で亡くなった。東京綜合写真専門学校で学び、のちに教鞭を取った。64東京五輪前後の変わりゆく東京を撮影。個人的動機から東京を歩き、個人的な視点から撮影した。
・東京綜合写真専門学校はロバートフランク後のパーソナルドキュメンタリーの系譜に連なる写真家を多数輩出した。
・モノに語らせるのが上手い

◯金村
・フレーミングがモノとの関係を生み出す。


第6講から!

レビュー投稿日
2019年7月30日
本棚登録日
2019年7月29日
0
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『挑発する写真史』のレビューをもっとみる

『挑発する写真史』のレビューへのコメント

まだコメントはありません。

コメントをする場合は、ログインしてください。
ツイートする