時代は19紀前半。パリの下町にある下宿屋「ヴォケール館」が舞台。小説の主人公は、地方の下級貴族の出で、パリに〝上京〟し法学部の学生となったウジェーヌ・ラスティニャック。
ラスティニャックは、法曹界に職を得ることに早々に見切りをつけ、パリの「社交界」でうまいことやって富と地位を築くことを目標に掲げ、夜な夜な活動を始めるのであった。
一方、下宿屋には、様々な人間が寄宿しており、その中の1人がゴリオ爺さん。かつて、小麦の商いと製麺業で財を成し、いまは年金生活を送る老人だ。娘が二人居り、パリ社交界にデビューしており、娘たちを溺愛している。
物語は、ラスティニャック自身の、パリ社交界への船出を描いてゆく。
そして、中盤くらいから、ラスティニャックの目を通して、ゴリオ爺さんの人生のストーリーが太くなってゆく。
ヴォケール館の女主人を筆頭に、金に汚い人物が目白押し。あるいは、金こそ全てという近代のありようを、えげつなくありのままに描いているのであった。
箴言のような、名文句がちらほら登場、その点、なかなか味わい深い。 例えば、
・「お金というのは、愛がなくなって初めて重さを持ち始めるのです。」
(ニュッシンゲン夫人/デルフィーヌ/ゴリオ爺さんの次女)
・「可能なことによって不可能なことを説明し、予感によって事実を打ち砕くのは女性のさがだ。」
(作者の、〝神の視座〟)
***
下宿人のひとり、ヴォ―トランは、とりわけ魅力的な人物。実は犯罪者で、犯罪者のネットワークを築き、その独特の手法で財を成す切れもので、人間社会と金に関して独自の価値観をもっている。
ラスティニャックに、パリ社会のシビアな局面を説き、人生の真実を説く。滔々と説く(p185~205)。
以下、その一部…
・曰く、「どこで金を手に入れるかという話さ。/女の持参金という手段がある。」
・「働くのか?働いて得られるものなんて、たかが知れてるぞ。」
・「きみのような若者が五万人はいるんだから大変だ。きみはそういう有象無象のひとりにすぎない。」p194
・「そのへんにごろごろいる凡人にとっては不正が武器になるのさ。」 (ヴォートラン談)
汚いやりくちであっても勝者になるべし、という考えを実践している。いわば、アンチヒーロー。
彼の処世術のくだりを読んでいて、ちょっと、ドストエフスキーの作品を想起した。
そのあと、巻末解説を読んで、逆に本作「ゴリオ爺さん」が、ドストエフスキーに影響を与えたとする説もある、と知り驚いた。さらには、ラスコーリニコフの名は、ラスティニャックから来ている、とする説もあるという。
第3章は、「トロンプ=ラ=モール/死神の手を免れた男」と題されている。トロンプ=ラ=モールは、ヴォートランの別名。この章は、ヴォ―トランがフィーチャーされる。
**以下、ネタばれ、含む****
終幕、ゴリオ爺さんは、失意のうちに病死。ほろ苦い読後感で、頁を閉じた。
ゴリオ老人の人生に関しては、救いの無い、もの哀しい終幕なのである。
ゴリオ氏は、娘ふたりを溺愛し、その生涯で築いた財の全てを、娘たちに投入。
しかし、娘たちは、ゴリオ爺さんに対して冷たい。彼の今わの際でも、父を見捨て、裏切るかたちになるのだった。
- 感想投稿日 : 2020年4月11日
- 読了日 : 2020年4月11日
- 本棚登録日 : 2020年2月29日
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